無料ブログはココログ

« ゴールデンウィーク 2015 | トップページ | 懐かしのビルボード・ランキング 1977年 Vol.1 »

2015年5月16日 (土)

生きる

輝く光にの画像 プリ画像

ある方のブログを拝見しました。

その方は、ずっと恨んでいた人がおり最近その方が他界されたそうです。

恨んでいた人が他界したことで気が楽になるかと思っていたが

後悔することが出て来たと書かれていました。

 

時に恨みは、生きる大義名分になることもあります。

しかし、スピリチュアルでは「恨み」は自分に返って来る。

因果応報。

 

時に人は、他人を傷つけます。

傷つければ、同じ事が自分に返って来ます。

その時、他人を傷つけたことに罪を感じ、反省し同じ過ちは

起こすまいと思う。

そして、許しを学び、大きな心を手に入れます。

許すことは、とても難しいことです。

しかし、傷つけられたのは自分にも落度があったはず。

自分にも弱い部分があったから傷ついたのだと思うのです。

傷つきも学びです。

傷ついたことで他人の痛みが学べ、成長できたのです。

感謝しても良いくらいだと思いますが…

ある方が『たましいが傷ついたのではなく、磨かれたと

思いなさい。』と言っています。

 

何の為に生まれ、なぜ生きるのか?

「幸せになるため」

どうしたら、幸せになれますか?

日々の生活に感謝すること。

日々の出来事からのメッセージを理解すること。

自分の感情を整理するよう、自分との対話をすること。

自分を誤魔化してはいけません。

他人のせいにして逃げてはいけません。

私は、いつもこのブログに書いていますが、物は考えようです。

すべて学びの材料にしてしまえばいいのです。

すべてが自分に与えられたミッションなのだと試行錯誤すれば

大きな学びとなり人間として成長できます。

自分を追い込まずに、楽になるような解釈もありだと思います。

 

人は、学ぶ為に生まれて来て、生きるのだと私は思います。

苦難は、自分磨きのチャンスです。

しっかりと自分と向き合って、自分と語り合って成長できます。

日々の出来事には、意味があると思います。

アンテナをピーンと立てていればキャッチできます。

自分が理解するまでメッセージは何度でも届けられます。

同じようなことが起こる時は、「気付いて」とのメッセージです。

 

毎日の生活に悔いのないように誠実に生きる。

感情的になってしまうこともあるでしょう。

そんな時は、反省して落ち着きを取り戻しましょう。

誰かに暴言を発してしまったことに気付いたのなら

心の中でもいいです。相手に謝罪しましょう。

想いは伝わります。

嫌いな人がいるとします。

大体が相手も自分のことが嫌いだったりします。

みんなに好かれることはありません。

気の合わない人も世の中にはいます。

 

人の気持ちは、心理学で理解されることが多いようです。

しかし、私は心理学以上に不思議なものがあると思っています。

人の想い、「念」、「気」ですね。

とても奥深いことだと思います。

よく、この人と居ると落ち着くと思うことはありませんか?

その人は、穏やかな「気」を持っているのでしょうね。

荒々しい「気」を持っている人と居ると、こちらまで気が荒れてきます。

言葉もまた、その人の「気」が現れやすいと思います。

言葉の使い方ひとつで冷たさや温かさを感じるものです。

『言霊』って言いますよね。

言葉には、神秘な力があります。

古代日本では、この思考が強かったです。

 

病からも学ぶことがあります。

人間は、肉体のみで生きている訳ではなく、『魂』で生きているのだと。

このようなことを書くと宗教者ではないかと思われてしまうかも

しれませんが、私は、宗教者ではありません。

病にも意味があるとスピリチュアルでは言います。

全てがそうだとは言えないのでしょうが、その部位によって

意味があります。

ここでは、個別に書くのは控えますが、まとめると『気づきなさい』です。

身体の操縦士は、『魂』だそうです。

考え方は色々でしょうが、私は、この考え方で救われて来ました。

 

生きるとは、学びだと思います。

学びを途中で自らの手で終わらせる人がいます。

最後まで学ぶことに意味があるのです。

終わらせてしまったら、また初めからやり直しです。

今までの学びの時間が無駄になってしまいます。

病気などで、途中で諦めてしまう方もいますよね。

命を諦めてはいけません。

治療ができるのなら、受けてください。

今の医学の進歩は素晴らしいです。

しかし、治療を諦めるという選択もあります。

それは、それで勇気がいることだと思います。

不安と闘わなければならないのですから。

ただ、怖いからという理由で拒否するのは、試合放棄だと思います。

それも、ありなのかな… その人が選んだ人生なのだから…

でも、悲し過ぎる…

 

逃げてもいいんです。

ただ、自らの手で命を終わらせてはいけません!

生きていれば、何度でもやり直せます。

乗り越えられない苦難は、与えられないと思います。

乗り越えられるからこそ与えられたのだと思います。

疲れたのなら、ゆっくり休んでください。

焦らず時を待ちましょう。

必ずまた立ち上がれる時は来ます。

どんなに時間がかかったとしても、必ずその時が来ると信じてください。

 

 

何とも、まとまりのない文章になってしまいましたが…

生きることに対しては、色々な考え方があると思います。

ここに書いたことは、あくまでも私自身の考えです。

丁度、お友達に伝えたいこともあったので記事にさせて頂きました。

 

 

心の問題は、とてもデリケートなものです。

心理学を学んでいるからと机上の文章では語り尽くせないものです。

乗り越えた者にしか解らない繊細な部分があります。

言葉もたいせつです。

言葉不足になると誤解の元になります。

 

あくまでも、私個人の考え方であり、押付ける気はありません。

どなたかの参考になれば幸いです。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

« ゴールデンウィーク 2015 | トップページ | 懐かしのビルボード・ランキング 1977年 Vol.1 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 生きる:

« ゴールデンウィーク 2015 | トップページ | 懐かしのビルボード・ランキング 1977年 Vol.1 »