つぶやき 9
アドラー心理学を書き終えて。
偉そうに5回に渡って書き綴りましたが、長文にも関わらず
沢山の方にご訪問頂き感謝しています。
私もアドラーの理論をすべて受け入れている訳ではありません。
しかし、大いに役立っています。
先日、ネットのニュースでアドラーの子育て法の記事を
見つけました。
参考になればと思い、貼り付けます。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160619-00028473-jprime-life
アドラーが説く子育て法(週刊女性)
人は、誰だって「良い人」でいたいです。
でも、誰から見ても「良い人」になんかなれない。
私は、コミュニケーションを取ろうと思ってしたことが
相手には意地悪、嫌がらせと取られ苦しんだ時期があります。
被害妄想が強い人だったので、「敵」扱いされ困りました。
悪意はないことを分ってもらえない事が悲しかったですね。
心の病を患っていることは、知っていましたが
私の手に負える状態ではなかったのですね。
仲良くしたかったのに残念です。
私のどこかに上から目線、傲慢な部分があったのかもしれません。
その点は、深く反省しています。
怖い思いをさせてしまったと思うと申し訳なく思います。
以後、彼女には近づかないようにしています。
直接、謝罪をと思いましたが、これ以上、怖い思いを
させたくないので、共通の友人から伝えてもらうよう
頼みました。
人は、自分を守る、自分の非は認めたくないものです。
責任転嫁をして、問題をこじらせることもあります。
正直に自分を見て、受け入れるべき所は受け入れ、
ちゃんと反省すべきは反省し治める冷静さは必要ですね。
その時、その人の人間性が出ると私は思います。
私は、子供の頃から自分の問題は自分の中で解決して来ました。
みんな、そうしていると思っていました。
だから、アドラーの理論はすぐに理解できました。
後は、実行あるのみでした。
初めのカウンセラーさんは、私の話を受け入れてくれ、
共感して下さる方でしたが、その次のカウンセラーさんは、
一切共感はしてくれませんでした。
それが、逆に良かった。
私の中にあった毒を出すことに繋がりました。
自問自答、自己憐憫、自己嫌悪、も~う、どれが本当の自分だか
解からなくなって、めっちゃ苦しかったし、辛かったけど、
アドラーの理論を採用して、カウンセラーさんに手伝って
もらいながら自分なりに整理をして落ち着きました。
もうひとつ、スピリチュアルを取り入れたことも
私を楽にしてくれました。
人は、そんなに色々なことを考えて生きているわけじゃない。
だけど、生き辛さを抱えて生きるのは、辛いですよね。
生き辛さを和らげてくれる事(物)は、人それぞれ何か
あると思います。それは、個人差があります。
『起る事には意味がある。』
そうなるには、そうなる理由があるのですね。
自分は、なんて可哀想なんだ。不幸なんだと自己憐憫に
浸っていては、幸せにはなれないのですよ。
自己憐憫は、マイナス(ネガティブ)感情ですからね。
欧米では、自己主張することは、当然のことです。
これが出来ないと生活に支障が出ます。
日本の教育(記憶)と欧米の教育(自ら考える)を受けている
私には、当たり前のことになっています。
それが、私の「気のキツさ」「攻撃的」に見られる点でしょうね。
しかし、逆に「頼り」にもなるようです。
生真面目な性格、責任感の強さ…
どうして私は、こんなにもガチガチな考え方をするのか
自分でも嫌になる時があります。
よく、父と口論になった後、父が言います。
『お前の言うことは、筋が通っている。だから、言われた方も
図星だから意地になる。正論を言われるとムキになる。
自分に後ろめたさがあればあるほど、俺は悪くないと言いたく
なるものだ。お前を怒らせると怖い。』と。
でも、私は日本人ですから、もっと穏やかに事を進めるように
した方が良い事も知っています。だから、いちいち相手にして
ムキになることも違うのですね。私が、ムキになる時は何かを
守りたい時だけです。
私は、平和主義者ですから。本来は、物事を静観するタイプ
だと学生時代の友人には思われているようです。
こんなに強く主張するようになったのは、マンションの
役員をやるようになってからですね。
それでも、まだまだ主張が弱いとマンションのお友達に
言われます。でも、これ以上、強く主張するのは
私としては避けたいです。
それは、自分が望み理想とする自分ではないからです。
穏やかさの中に強さを持った女性になりたいです。
学生時代のように静観して、いざとなった時に出る。
これ、めっちゃ怖いパターンだけどね。(笑)
学生時代に抱えていた生き辛さは、解消しました。
また、学生時代の自分に戻って穏やかになりたいな~
しかし、あの頃の私はクール過ぎだけど…^^;
幼き頃は、いつもニコニコしている子だったと
母が言っていました。いつから、こんなに堅苦しい人間に
なってしまったのだろうか(;´д`)=3トホホ・・
人は他者と戦うのではなく、自分と戦うのである。
理想の自分と現実の自分との間で戦うのである。
この思考が、私を大きく成長させてくれました。
他者に分って貰いたいと思うことが、依存になり
自分を苦しめることになるのですね。
すべて自分の中での問題。自分の中で解決すれば良い。
憎しみや恨み、怒りも捨て去ればいい。
敵だと思うから、それらの感情が湧いて来る。
家族や親しい相手なら、甘えや依存があるから。
自分の思い通りにならないことなんて沢山あります。
自分の中で問題を解決するには、それなりの知識と経験が
必要になります。
その知識と経験を得る為に、私は心の病になったのだと
思い、感謝しています。
スピリチュアル的に考えれば、すべてのことには、
そうなる意味がある。学び(気づき)がある。
なぜ、そのことが起ったのか?何を教えようとしたのか?
嫌なこと、悪いこともすべて学びの為と思えば良い。
自問自答すれば自ずと答えは出て来ます。
反省し修正すればいい。
『受け入れれば、悩みは解決します。』
私は、自分の中で問題を解決するので、友達から見ると
何を考えているのかわからないらしい。
『エル、あんた、頭の中で色々考えているんでしょう?
もっと、友達に吐出しなよ。あんた、学生時代から
愚痴を言わないよね。よく、頭が爆発しないよね。
愚痴も大事だよ。』と親友に言われたことがあります。
愚痴を言うのは、聞いている人には迷惑だと思ってしまう。
しかし、案外、人は他人の愚痴をちゃんと聞いてはいない
もので聞き流しているのでしょうね。
私だって愚痴りたいよ!だけど、私が愚痴ると決まって
『また、その話!』と言われる。愚痴るなってことやろうが!
誰も、私の愚痴を聞いてはくれんのや(-_-;)
だったら、自分で考えて解決するしかないやん!
多分、私の友人の中で私は『愚痴らない人』とのイメージが
出来ているのだと思います。だから、愚痴り辛い。
愚痴るとは、甘えることだと私は、思っています。
甘えるとは、依存だと思っています。
だから、ややこしくなんねん!
甘え下手が、顕著に現れているエルザであった。
強くなることも弱くなることもない。
無理することはない。自分らしく歩めばいい。
私の良い所を出して行けば良い。
私の持っているお姉ちゃん気質(強い母性)を
誰かの為に役立てるよう使えば良い。
実際にそれが誰かの為になっていると良いのですがね。
このお姉ちゃん気質も時と場合によっては、上から目線、
傲慢に取られる場合があります。要注意なのですよね。
それと、もうひとつ気を付けなければいけないのは、
「余計なお世話」ってやつですね。
つい深入りしてしまいます。
ここ数年、課題の分離が少し疎かになっていました。
その為、余計な心配をして自分を苦しめることになっていた。
お友達にもご迷惑をおかけいたしましたm(__)m
アドラー心理学を記事としてアップすることで
自分の気持ちの整理もしました。
今年前半も色々とあり、自分で本当の自分が解らなく
なっていました。混乱しまくり~^^;
ここ数年を振り返り反省もしました。
また、忘れて突っ走ってしまうかもしれません。
その時の為に記事にしました。
最近、マンションの管理組合関係が忙しい。
書類って、そんなに大事ではないのかな?
私が、形式にこだわり過ぎているのかな?
提出書類が揃っていないのに、工事の許可を出すって
どういうことなんだろうか?
社会人として基本じゃないの?
管理会社の不手際を理事である私が尻拭いするのは違うと
黙っていたけど、工事の時に発生する音は、住人には
迷惑なことだし…
じっとしていられず店舗さんと直談判して片づけました。
まぁ、店舗さんとコミュニケーションが取れたと思えば
悪いことではないけど…(・へ・)フクザツナシンキョウダ
大阪から来た方で、関西弁なまりの標準語でした。
私もつられて関西弁なまりに…^^;タンジュンヤナ~
常識のある良い方だったので良かったです。
ちょっとゆっくりしたいな~と思っているのですが、
なかなか神様は、時間をくださらない。
今は、色々と余計なことを考えなさんなってことかな?
お蔭で穏やかな毎日です。
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