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2016年6月10日 (金)

アドラー心理学(人生の意味の心理学)『課題の分離』 4

この回に関しては動画があったので、貼り付けておきます。

途中ドラマ仕立てでわかりやすく解説がされています

対人関係を転換する。

今回は、対人関係のありかたについてです。

子育てや介護を例にとって話が進められています。

記事に関しては、動画を観て頂ければ解かると思うので

大幅に省いて書きます。それでも長文^^;

 

アドラーは『すべての悩みは対人関係にある』と考えました。

人間という文字は『人の間』と書きますが、人は一人だけでは

『人間』にはなれません。赤ん坊が他者の保護なしに生き延びられ

ないのを見てもわかるように、はじめから私達は他者との

関係の中で生きているのです。

 

対人関係の問題は、他者を自分の行く手を遮る存在『敵』と

見なすことから生まれます。

親子関係を見ても、もしも子供が、親の言う事を何でも聞く

従順な存在ならば何の問題も生じないはずです。

しかし、なかなか言うことを聞いてはくれません。

そうした関係が続くと、やがては互いに相手を自分の『敵』と

見なすようになっていきます。これは、親子に限らず

夫婦関係、友人関係、職場の対人関係すべてについて

言えることです。

つまり、他者を敵と捉える考え方こそが、人間関係の

悩みを作り出していると言えるのです。

 

 

人間の基本的な欲求のひとつに『所属感』があります。

「私は、ここに居て良いのだ」と、共同体の中に自分の居場所が

あると感じる。家庭、職場、学校、自分にとって居心地の良い

場所をどこかに持ちたいと思うことは、人間にとってごく自然の

欲求であり、それは人間の幸せや生きる喜びにもつながります。

 

 

アドラーは、甘やかしの危険性を次のようにいっています。

 

甘やかされた子どもは、自分の願いが法律になることを期待

するように育てられている。(中略)その結果、自分が注目の

中心でなかったり、他の人が彼(女)の感情に気を配ることを

主な目的にしない時には、いつも大いに当惑する。

(第1章 人生の意味「子供時代の経験」)

 

甘やかされて育つと、それが当たり前になってしまいますよね。

その「当たり前」が社会に出ると与えられなくなる。

そうなると、不機嫌になり、時には攻撃的になる。

親は、愛情を持って子供に接しているのでしょうが、

子供は、愛されていると感じないことが多くの問題を作っている

と、岸見先生はおっしゃっています。

これは、『課題の分離』がなされていないからではと私は思います

(『課題の分離』に関しては、後ほど説明いたします。) 

 

アドラーは、夜尿症について、子供の親への甘えの意思表示と

考え、次のようにいっています。

 

夜尿はいくつかの目的に役立つ。注意を引くこと、他の人を

仕えさせること、昼だけでなく、夜も注目させることである。

(第二章 心と身体「心と身体の相互作用」)

 

 

幼い頃に甘やかされて自分が世界の中心であると考えて育った人は、

「承認欲求」を持つようになるかもしれません。

しかし、承認欲求があると様々な問題が生じて来ます。

他者から褒められたり注目されないと「なぜ自分は認めて

もらえないのだ」と憤慨したり、「せっかくやったのに、

褒められないのなら、二度とやらない」と考える様になって

しまうのです。

 

他者に褒められたい、承認されたいという人は多いですが

承認されなくても何かをしなければならない場面は人生の

中には多々あります。

 

介護は、承認欲求がある人にとっては辛いものになります。

なぜなら、『ありがとう』という言葉を親からかけられることを

期待できないからです。同じ事は子育てにも言えます。

子供が親に『ありがとう』ということは、期待できないからです。

介護も子育ても『ありがとう』という言葉を期待するのを

止めれば良いのです。感謝されようがされまいが、親に

貢献できていると感じられれば、それでいい。

 

多くの人は『あなたにこれだけのことをしたのだから、私にも

何かをしてください。』と考えます。しかし、生きることは

『ギブ&テイク』ではありません。承認欲求がある人は

テイクを基本に考えますが、生きることは『ギブ&ギブ』なの

です。そんな風に考えて行動するのは、実際には難しいと

思う人があるかもしれませんが、貢献感を持てるようになれば

承認欲求は消えます。

 

 

私のカウンセラーさんが言うのは、これなんですね。

自分がやりたくてやっているのだから、それでいい。

相手に求めないということなんです。

ただ、与えるのみです。

そうすれば、腹も立たないということなんです。

 

 

承認欲求や世界の中心に自分がいるという意識から脱却する

為の方法は、まず、他者に関心を持つこと。

「他の人の目で見て、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じる」と

いうことが「共同体感覚」のひとつの定義であるとアドラーは

考えました。

 

次に、他者は自分の期待を満たす為に生きているのではないこと

を知ること。

自分も他者の期待を満たす為に生きているのではありません。

他者からよく思われないことを怖れて、他者の期待を満たそうと

する人は、自分の人生ではなく、他者の人生を生きることに

なってしまいます。

自分の人生を生きようとすれば、他者との摩擦は必ず起こり、

自分を嫌う人も現れるでしょう。

しかし、自分の人生を生きる決心をすれば、他者から承認

されようとも思わないでしょうし、承認する他者に依存する

生き方をしなくて済むわけです。

他方で、もしも自分が他者の期待を満たす為に生きているのでは

ないとすれば、同じ権利を他者にも認めなければなりません。

他者も自分の期待を満たす為に生きているのではないと

いうことです。このように考えれば、他者が自分の思い通りの

ことをしないとしても、そのことを不愉快に思ったり、

憤りを感じなくなります。

 

次に『課題の分離』です。

これは、アドラー心理学を理解する上での重要なキーワードです。

あることの最終結末が誰に降りかかるか、その責任を最終的に

誰が引き受けなければならないかを考えれば、そのあることが

誰の課題かわかります。

例えば、勉強は誰の為にするのでしょうか。勉強しなければ

困るのは誰でしょうか。答えは明白です。

勉強は、親ではなく子供の課題です。それで進学や就職に

困るのは子供本人です。

 

対人関係のトラブルは、他人の課題に土足で踏み込むこと、

踏み込まれることから起こります。

子供が、本当に勉強が自分にとって必要だと思ったら、

親が何も言わなくても自主的に勉強に取り組むはずです。

 

今、課題の分離について説明したのは、承認欲求や世界の中心に

自分がいるという意識から脱却するための方法を明らかにする

為です。

他の人が自分をどう見ているかは、他の人の課題です。

 

 

私は、この考えは高校生の頃から強く持っていました。

頑張るのは自分の為で他の人の為ではないと。

親が敷いたレールを走るのは違う。自分の人生のレールは

自分で敷くんだと。

妹が進路で悩んでいた時も、この助言をしました。

自分で選んだことには責任があります。だから、後悔もしない。

もし、失敗しても他人のせいにしない。自己責任です。

 

自分の人生の課題は自分自身で解決していくしかない。

しかし、他者と協力しなければ乗り越えられないこともあります。

課題を分離することは対人関係の最終の目標ではなく、

他者との協力は必要になってきます。

ただし、その場合も「課題の分離」が前提になります。

どうしても自分だけでは解決できない課題については、協力を

求めてもいいですし、協力を求められたら、できるだけ

協力すれば良いのです。

これをアドラー心理学では『共同の課題にする』といいます。

 

部下が与えられた仕事をこなせない場合、課題の分離からいえば

部下の課題になりますが、一方で上司の課題と考える事もできます。

部下が失敗すれば、上司の指導が悪かったということで

その責任は上司にもあります。

共同の課題にする為には、部下に最近の仕事ぶりについて話したいと

いいます。このような共同の課題にする手続きを踏まなければ

話をすることもできません。

部下から断られるかもしれません。その場合は、静観するしか

ありませんが、事態が切迫している場合は対処する必要が

あります。普段から関係を良くしておかなければなりませんね。

上司側から「共同の課題にしよう」と言い出すのは

あまりお勧めできません。

そうすることで援助しようと思っているのではなく

自分の思うように相手をコントロールすることになりかねません。

部下から共同の課題にして欲しいという申し出があった場合のみ

きちんと話し合い、協力出来るものについてだけ行うのが理想です。

 

 

日本人としては、かなりクールな考え方だと感じる方もいると

思います。

私は、これは『距離間』だとも思うのです。

子供の勉強に関しても親として心配になるでしょう。

いい成績を取って、いい大学に行って、良い会社に就職して

欲しいと望むことでしょうね。それが子供にとって幸せだと

思うから。しかし、本当にそれがその子の幸せなのでしょうか?

立派な子育てとは、自立・自律できるように育てる事だと

私は思います。自分で考え、自分で選び行動できる責任感。

親の見栄の為に子供を育てているのなら、その子は不幸です。

 

日本人は、相手の気持ちを察するという能力があります。

相手の気を察して、これ以上は踏み込んではいけないなと

感じる事ができるのではないでしょうか。

世話好きな日本人には、アドラーのような思考は

難しいかもしれませんね。

『大人としての対応』だと思うのです。

トラブルがあった時に、イチイチ目くじら立てて暴れるのは

違います。それは、子供がすることです。

子供にも大人としての対応をする。そうすれば、子供も穏やかに

対処します。子供は、大人が思っているよりずっとしっかり

しています。自分のことをちゃんと考えているものです。

子供の持っている良い面を潰すことは、してはいけない。

私の主治医が昔こんなことを言いました。

『親は、あなたの為よと言いながら、子供を潰すものだ。』

精神科医が、そう言うのですから、そうなのでしょうね。

 

 

 

 

岸見先生の文章と私の文章を分ける為に書体を変えています。

読みづらいかもしれませんがご了承ください。

 

(人生の意味の心理学 参照)

 

 

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コメント

 100分de名著、大好きでよく見ています。アドラー
心理学についてもやっていたのですね。
 難しい本を分かりやすく解説してくれるので、
よく番組が終わってからその本を読んでいます。

 今回も思い当ることがいっぱいで、大人に
なりきれていない自分を感じています。

 ぼろ さん

いつもコメントありがとう。

偉そうに書き綴っている私もアドラーの理論を
すべて受け入れている訳ではないし、実践も
出来ていません。

人は、誰だって「良い人」でいたいです。
でも、誰から見ても「良い人」になんかなれない。
私は、コミュニケーションを取ろうと思ってしたことが
相手には意地悪と取られ苦しんだ時期があります。
受取り手がひねくれていてはね。
被害妄想が強い人だったので、「敵」扱いされ困りました。

私も文芸書をもっと読んだ方が良いのでしょうが
読んでいるうちに終わりが見えてしまう。

自分で選んだことには責任があります。だから、後悔もしない。

もし、失敗しても他人のせいにしない。自己責任。

私もこの考え方、生き方に大賛成で、

こうして生きてきた気がします。

これからも自分のこの生き方は

変えられない(変わらない)と思います。

そのうえで、

「人の間」である人間、

ということをふまえ、

生きていかなくてはならないんだなと思います。

ホシノ さん

コメントありがとうございます。

どう生きるか。
個々の人生観なのでしょうがね。
生き辛さを感じれば、変えれば良い。
人生は、いつでも変えられる。
変える勇気さえ持てば。
ロジカルに、ねばならないになる事もないのかな。
楽に真面目にマイペースでしょうかね

エルザさん、体調いかがですか?

ゲナちゃんへのコメ見ました
脳外に行くんですか?

時節柄、不調になりがちですね
お大事になさってください

私は湿疹に悩まされてます
大したことないんだけど
ついかきむしっちゃいます(笑)

 みねこ さん

コメントありがとう。

(´ェ`)ン-・・
痺れは、治まったのですが違和感が…
ゲナちゃんのアドバイスもあり総合診療に行こうと思っています。
今年前半、色々な事が大きな塊でやって来て
爆発しちゃったかも…
心の整理が終わったので、その疲れが出たのかな?

みねこさんは、湿疹ですか。
何か肌に合わない事でもあるのかな?
身体は正直ですね。
お互いにのほほ~んとやりましょうね。
ありがとうございます。

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