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2016年6月16日 (木)

アドラー心理学(人生の意味の心理学)『共同体感覚』5

アドラー心理学 最終回です

今回も動画があったので貼り付けます。

今回は、動画があるので文字での書き込みは大幅に省きます

それでも長文m(__)mゴメンナサイ



動画:『自分』と『他者』を勇気づける。

 

 

われわれのまわりには他者がいる。そしてわれわれは他者と結びついて生きている。人間は、個人としては弱く限界があるので、一人では自分の目標を達成することはできない。もしも一人で生き、問題に一人で対処しようとすれば、滅びてしまうだろう。自分自身の生を続けることもできないし、人類の生も続けることはできないだろう。そこで、人は、弱さ、欠点、限界のために、いつも他者と結びついているのである。自分自身の幸福と人類の幸福のためにもっとも貢献するのは共同体感覚である。

(第一章 人生の意味「人生の三つの課題」) 

 

ここで「他者と結びついている」ということが、アドラーの言う

「共同体感覚」の意味です。

共同体感覚を表現するドイツ語は、いくつかあります。

Mitmenschlichkeitミットメンシュリッヒカイト)がその一つです。

これは人と人(Menschenメンシェン)が結びついて(mitミット

いるという意味です。

そして、このMitmenschenミットメンシェン)がこれまでも

見てきたアドラーがいう「仲間」という言葉の原語なのです。

他者を仲間と見ている人は、その仲間である他者に貢献し、

貢献感を持つことで自分に価値があると思えば、対人関係に

入っていく勇気を持つことができます。

生きる喜びや幸福は他者との関係からしか得ることができません。

アドラーは以上のことを「自分自身の幸福と人類の幸福のために

もっとも貢献するのは共同体感覚である」と説明しています。

 

しかし、すべての人間がそのように思って生きているわけでは

ありません。共同体感覚が欠如しているからこそ、人を蹴落と

してでも出世したい、自分のことをさらに大きく見せたいと

考え他者を支配しようと考えてしまいます。

 

 

彼(女)らが人生に与える意味は、私的な意味である。つまり、自分が行ったことから益を受けるのは自分だけである、と考え、関心は自分にだけ向けられているのである。彼(女)らの成功の目標は単なる虚構の個人的な優越性であり、勝利は自分自身に対してしか意味を持っていない。

(第一章 人生の意味「共同体感覚」)

 

ここでいう「人生に与える意味」とは「人生の意味づけ」のこと。

共同体感覚が欠如している人は、人生に「私的な意味づけ」を

行い、自分だけにしか関心を向けず、自分の得になることだけを

目的として生きています。

しかし、人間は一人では生きられない。

必ず他者と共生しなければならない。

優越コンプレックスのある人も、その裏返しの劣等コンプレッ

クスのある人も、共に彼らの目指す優越性は、「個人的」なもの

であって、それが他者に貢献するかということは問題になりま

せん。

彼らの優越性の追求は競争が前提で「勝利」は自分自身に

対してしか意味を持たないのです。

 

アドラーは、この共同体感覚の欠如が戦争を引き起こすと

言っています。

仲間だと考えれば競争などしないで、協力して言葉を尽くして

解決しようとする。確かに、平和的ですね。

友達、夫婦などで言い争いになることってありますよね。

でも、どちらかが冷静に話し合おうとすれば治まることも

あります。

お互いに自分が上だという意識、相手を抑えつけようという

気持ちがあるのでしょうね。

共同体感覚の欠如している人は、攻撃的になります。

お互いに対等な立場、共同体感覚を持って話し合えば

 

冷静に事は治まると思います。

 

 

人生の意味は全体への貢献である。

人生の意味は貢献、他者への関心、協力である

 

ここでいう「全体」は、「共同体」のことですが、

もしもこれが既存の共同体であれば、全体主義になって

しまいます。

【全体主義:個人主義の反対概念で国家、民族、階級など〈全体〉

の〈個〉に対する優位を徹底的に追求しようとする思想・

運動体制をいう。イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、

ソ連のスターリニズムなどがその典型とされる。】 

先に、所属感は人間にとって基本欲求であることを見ましたが、

「全体の一部でありたい」(『子供の教育』)と思えるからこそ、

他者に貢献したいと思える。全体主義という言葉に連想が

働くのは、私益しか考えていない一党一派が全体の益を考えて

いると欺き、全体を支配するということが、歴史上何度も

あったからですが、アドラーの言う、人は全体の一部であると

いうのは、それとはまったく意味が違います。

 

なぜ貢献感を持つことが必要なのか。

まず、一つ目は「自己受容」です。

ありのままの自分を受け入れるということです。

自分を受け入れることができるためには「自分は特別によく

なくても、悪くなくてもよい」と考えるのがポイントです。

自分を受け入れる一つの方法は自分の短所を長所に置き換えて

みることです。

自己受容の重要性について、アドラーはこんなふうに言って

います。

 

自分に価値があると思える時だけ、勇気を持てる

 

 

二つ目が「他者貢献(感)」です。

アドラーは、先ほど引用した言葉に続けて、こうも言っています。

 

私に価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって

有益である場合である。

 

自分が役立たずではなく、役に立っている、貢献していると

感じられる時に、そんな自分に価値があると思え、自分を

受入れることができます。今、引いたアドラーの言葉には

注釈が必要です。

まず、共同体は既存の社会ではないということ。

例えば、定年退職して元気を失くしてしまう人がいますが、

人は誰でも複数の共同体に属しています。

定年後も家族、地域社会、国家、さらにはもっと大きな共同体に

所属しています。そこにおいても何らかの貢献ができると

考えたい。目の前の小さな共同体に固執することはありません。

次に、貢献を行動だけに限定する必要はない。

行動によってしか他者や社会に貢献できないとすれば、乳幼児や

寝たきりの高齢者は他者に貢献できないことになる。

そうではなく、誰もが「既存レベル」で貢献できるのです。

何かをしなくても、自分の存在自体が他者に貢献していると

感じられる時、自分に価値があると感じられます。

 これ、私にはよく理解できます。

『居てくれるだけで良い。生きていてくれるだけで良い。』

そう、言われたこともあります。言ったこともあります。

それこそが、大きな愛なんじゃないかと、最近、つくづく

思います。 

 

三つ目は「他者依頼」です。

ここで「信用」と「信頼」を区別します。

信用とは、条件付きで人を信じることです。

信頼とは、無条件で人を信じることです。

人と人の関係性は、条件付きの信用ではなく、無条件の信頼が

あって初めて成り立ちます。確かに信頼していた相手から

裏切られるたり、傷つけられることもあるかもしれませんが、

裏切られることを怖がって対人関係の中に入って行かなければ、

誰とも深い関係に入ることはできませんから幸せになることは

できません。

 

以上の三つのことは、円環構造をなしています。

つまり、自分を受け入れることができる為には、貢献感が

なければなりません。貢献感を持てるためには、他者が敵では

なく仲間であると信頼できることが必要になります。

 

 

アドラーの教育論の基本は「勇気づけ」にあります。

親や教師は、子供が共同体感覚を持ち、対人関係の中に

入って行く勇気を持てるように援助しなければならない。

教育の世界では、伝統的に「叱ること」と「褒めること」が

重視されて来ました。しかし、アドラーはそのどちらも

認めていません。

アドラーの教育論は、私もスイミング講師時代に参考にしました。

私は「叱る」ことは、しませんでした。それは、私自身が

親に叱られて育ったからです。叱られた子は、自分に価値がない

ダメ人間だと思います。

アドラー心理学でいう上下関係があることで萎縮してしまう。

「叱る」と「怒る」は、違いますよ。

「叱る」は、理性。「怒る」は、感情です。

殆んどの親が、感情的になって子供を怒っていると

私は思いますけど。

『叱らないで、どうやって教える(躾ける)んだ。』との

声が聞こえて来ますが、簡単なことです。

子供に考えさせればいい。

子供は、大人の行動を見て学んでいるものです。

親(大人)が正しい行動をしていれば子供は自然とまねをします。

「どうすればいい?」と子供に問えばいいのですよ。

何かのやり方が分からずにいるのなら「こうやるんだよ」と

教えてあげれば良い。

しかし、場合によっては親(大人)から注目して欲しくて

怒らせるようなことをする子もいます。

私は、その場合、黙ってじっと見ています。

もしかしたら、その行為は圧力を掛ける事になるかもしれません。

しかし、振り向いてもらえないと悟った子は大人しくなります。

そこから、その子が学ぶことをあるでしょう。

親(大人)は、普通に接してあげれば良いと思います。

 

この「褒める」も難しいです。

褒めてばかりいると褒められたいとの欲求が強くなり、

褒められなければやらない子になってしまいます。

私は、子供が何かに挑戦した時に「褒める」を使います。

『良かったね。あなたの努力が実って良かったね。』と。

すると子供は、努力をすれば乗り越えられるということを

身を持って経験できます。それは、その子の大きな自信・力

になります。

これは、私の自論ですけどね。

岸見先生は、『助かった。』『ありがとう。』の言葉で子供は

貢献感を抱くことができると言っています。

 

ちょっと余談ですが、先日の北海道の置き去り事件。

子供のしつけは、体罰を与えて教えることではないと思います。

これも、言葉で教える。何がどういけないのか。

親は、人生の先輩です。

決して上から目線で子供に接してはいけない。

教えるのは、諭せばいいのです。

この子は、一生親に対し不信感を抱き接することになるでしょう。

こんな悲しいことはありません。

 

叱られたり褒められたりして育った子供は、大人になっても

どうすれば叱られないか、褒められるかということばかり

考えるようになるという意味で、自分にしか関心を持てない

ようになってしまいます。

自分にしか関心がない人は、他者への関心がない。

つまり共同体感覚を持っていないことになります。

自分にだけ関心を持つのではなく、他者に関心を持ち、

他者に貢献してみようと思えばいいのです。

貢献できると思えば、自分に価値があると思えるようになります。

そのように思えた時に、他者はもはや「敵」ではなく

「仲間」と見なすことができます。

自分についての見方、他者についての見方(これがライフスタ

イルの意味です。)が変ると、すべてが変って見えてきます。

パソコンやスマホにはOS(オペレーションシステム、

基本ソフト)が入っていますが、それを更新した時のようです。

ハードが同じでも、OSが新しくなると新しいパソコンや

スマホになると言っていいように、自分を他の自分に交換

できなくても、ライフスタイルを変えると新しい自分に

なれるのです。

 

 アドラー心理学、いかがでしたか?

よく『自分は変えられないから』なんて嘆いている人が

いますよね。

不都合なら変えれば良いのですよ。

簡単ではないけどね。

変りたい、変えようと思ったら3日もあれば変れる。

 

私のカウンセラーさんが面白いことを言いました。

私が『いつも部屋に髪の毛が落ちていてイライラする。』と

言ったら、『拾えば良いじゃない。』と(゚∀゚ ;)タラー

そうなんです。()

イライラするのなら、その元を片づければいいのです。

頭で考えるだけでなく、行動するですかね。

 

アドラー心理学は、ストレートだと思います。

屁理屈はないと思います。

私自身は、すべてを受け入れた訳ではありませんが、

自分を立直す(更新する)のには、とても役に立ちました。

時々フッと感情的になり『敵』を作ってしまいますが、

すぐに気づき消し去ります。

 

少しでも、役に立てば幸いです。

もっと詳しく知りたい方は、動画も探せばあるかもしれません。

 

永い間、お付合いありがとうございました。

 

岸見先生の文章と私の文章を分ける為に書体を変えています。

読みづらいかもしれませんがご了承ください。

 

(人生の意味の心理学 参照)

 

 

 

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