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2016年10月

2016年10月27日 (木)

懐かしのビルボード・ランキング 1985年 Vol.2

1985年のランキングトップ5です。

25日にビックリなニュースが飛び込んできましたね。

Dead or Aliveのピート・バーンズ急死の知らせ。

80年代のユーロビートのヒットには欠かせない人です。

ご冥福をお祈りいたします。


5.I Feel For You / Chaka Khan

4.I Want To Know What Love Is / Foreigner

3.Wake Me Up Before You Go-Go / Wham

2.Like A Virgin / Madonna

1.Careless Whisper / Wham


BEST10外には・・・

 

We Built This City / Starship ,

Cherish / Kool&The Gang ,

St.Elmo's Fire / John Parr ,

The Heat Is On / Glenn Frey ,

We Are The World / USA for Africa ,

Cool It Now / New Edition  etc...

 

ランキングの曲を聴いていると30年近く前のものとは思えないですね

まだ、つい最近 聴いていた感じで…

当時、私は夢破れ暗闇の世界に入りました。

それでも、私を支えてくれたのは、やはり音楽でした。

 

 

2016年10月21日 (金)

懐かしのビルボード・ランキング 1985年 Vol.1

今回は1985年のランキングを紹介します。

この年に大活躍したのは、ブルース・スプリングスティーン、ワム、

そして、USA for Africaでしょうね。

この年の注目の資料にマドンナのことが書いてあります。

マドンナは、この年『Like a Virgin』でアルバムランキング3位にランクイン

しています。シングルに関しては、出す曲が全てトップ5にランクインし、

全米シングル・チャート・トップ5入りを目の前にしていました。

プレスリーの24曲、ビートルズの15曲、そしてマドンナは

この時14曲でした。

個人的には、マドンナには興味はありませんでしたが…


10Take On Me / a-ha

9.Crazy For You / Madonna

8.Money For Nothing / Dire Straits

7.Everybody Wants To Rule The World / Tears For Fears

6.Out Of Touch / Daryl Hall &John Oates


2016年10月14日 (金)

嫋やか

つぶやき広場を見ていたら、『嫋やかな女性になりたい』との

書き込みがありました。

何て読むんだ?と調べると『たおやか』と読むんだって。

何とも日本語らしい響ですね。

女偏に弱いと書く。

意味は『しなやかで優雅な姿や動作のこと。』

英語にするとどう表現するのか調べてみると…

delicateslenderの単語があった。

どれも『たおやか』な感じが伝わって来ない気がするな~

私的には、delicateプラスelegantって感じではないかと

思いますが…

 

しなやかで優雅な立ち振る舞い。

確かに女性らしい柔らかさが求められるのでしょうね。

しか~し、女偏に弱いと書いても、決してナヨナヨした

女性ではないと思うのですが…

大変失礼な書き方になるかもしれませんが、

しなやかな立ち振る舞いというと京都の舞妓さんを

私は想像します。

彼女たちは、しなやかな立ち振る舞いをするけど

芯はしっかりしています。

強さがなければ芸の道は乗り越えられないと思います。

芸の道を歩む人は、気が強くなければできないと思います。

しっかりとした信念を持っていると思います。

私が言う強いとは、信念を持っているという意味です。

 

信念。何だか解かっているようでピンと来ない言葉かな?

辞書で調べると『正しいと信じる自分の考え』だそうです。

自分の中にある『芯』みたいなものでしょうかね?

信念は、持つのではなく、貫くものだとも言いますね。

個人的な思い込みだと言う人もいます。

 

この10月は私の誕生月です。

誕生日にリアルのお友達からお祝いの電話を頂きました。

その夜は、電話のラッシュで忙しかったです。

嬉しい悲鳴ですね~(o^^o)ニコ

昨年の誕生日は、怒声の電話をもらいましたけどね^^;

そのお友達とはお別れしました。

今年は、それを払拭するような嬉しいことが起きました。

神様は、いつも粋な計らいをしてくださる。

1年間、私が耐え忍んで来た事のご褒美なのでしょうか。

今、繋がっているお友達を大切にしなさい。

大丈夫、ちゃんと繋がっている人はいますよ。

そう、言われている気がして心が温かくなりました。

それにしても、みんな、よく私の誕生日を覚えていたな。

こんな、電話ラッシュは初めてです。

 

嫋やかな女性になりたい…かな?

私は、私らしくマイペースで行きたいですね。

私は、元々女性として生きて来なかったです。

いや、女性なんですけど、自分が女であると強く意識をして

生きて来なかったです。ひとりの人間として生きて来ました。

女性だから○○は出来ないとか○○すべきがなかったな。

だから、恋をすると自分は女なんだとハッとして

どう、彼に女性として甘えたら良いのか戸惑いました。

女性らしさって弱々しいイメージが私の中にあるんです。

でも、私が今迄お付合いをした男性は、私に女性らしさは、

求めませんでしたね。

確かに、女性らしい気遣いや優しさも気に入ってくれたけど、

サバサバした女女してない所が気に入ってくれました。

だから、ちょっとでもナヨナヨすると『気持ち悪い』と

言われる始末で…(^^

これからも、ちょっと男っぽいところもあるけど、愛を持って

母性の強い所も出して、人と接することを楽しみたいです。

今年前半、ちょっと自分を見失ましたが、支え助けてくれたのは、

やはり私の中にある『芯』柱でした。

それと、お友達の愛でした。

 

私は、昔から姉御肌です。そして、お節介(^^

お節介に関しては、男友達からコンコンと説教を頂いたので

だいぶ抑えられたと思いますが…

これからも、他人を愛して行きたいと思います。

今、私の周りにいる人達の愛も受け取って…♡

ちょっとは、嫋やかさを身に着けた方がいいのかな?()

『姐御は、姐御らしくしてろ!』

はい、そうします(^^)v

 

 

2016年10月 9日 (日)

MUSIC LIFE 2 Andy Gibb

                

                               「andy gibb 無料画像」の画像検索結果

ご存知ビージーズの実弟。

1975年デビューです。

1988310日、30才という若さでウイルス感染による

心筋炎にて他界しています。

彼が亡くなる直前に、彼がビージーズに加入することが

決まっていましたが、それも叶えられませんでした。

1977年『I Just Want to Be Your Everything』『(Love Is

Thicker Than Water1978年『Shadow Dancing』は、

全米で1位になりゴールドディスクを貰っています。

アルバムに関しては、アメリカよりカナダでの売れ行きが

良く、1977年『Flowing Rivers(恋のときめき)』は、カナダでは

9位ですがアメリカでは19位。1978年『Shadow Dancing』は、

カナダで1位、アメリカでは7位。



I Just Want to Be Your Everything (1977)



(Love Is)Thicker Than Water (1977)



Shadow Dancing (1978)



An Everlasting Love (1978)



Desire (1980)



お兄さんたちと同じ系統のハイトーン・ボイスですが、

落着いた感じがします。若いのに~

どの曲も、やはりお兄さんたちのコーラスが入っているせいか

ビージーズ・サウンドを感じます。

個人的にですが、アンディーは大人しい青年だったのではないかと

思います。色々なエピソードを読むと、どこか孤独を抱えていた

ようでしたし。彼の笑顔の裏に孤独を感じていました。

シャイで純粋な心を持った人のような気がします。

ご冥福をお祈りいたします。

 

10月14日 追記

ひでじろうさんからの情報でお兄さんのバリー・ギブが亡くなった

弟や友人に贈った歌があるそうです。追記させて頂きます。





2016年10月 3日 (月)

芸術の秋 ラファエロとヒロ・ヤマガタ 

秋と云えば、読書・食欲・芸術と楽しみがあります。

私は、食が細いので食欲は、除外すると読書と芸術が残る。

今年は、面白そうな本は見つかるかな?

 

芸術も色々で音楽や絵画。

私のお気に入り絵画は、ラファエロヒロ・ヤマガタ

ちょっとご紹介しましょうかね。

 

ラファエロ・サンティ 

ルネサンス盛期を代表するイタリアの画家、建築家です。

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに

盛期ルネサンスの三大巨匠といわれています。

37歳の若さで亡くなっているのですが、多数の作品を残しています。

多くの作品は、ヴァチカン市国のヴァチカン宮殿に残され

『ラファエロの間』と称されるフレスコ画の4部屋は有名です。

 

私が、初めてラファエロの絵画を見たのは、高校の美術の時間。

先生の絵画説明を聞いて感動してしまいました。

Photo

【小椅子の聖母】 

その絵が、こちらです。

なぜ、キャンパスが丸いのか。

先生の解説だと、当時の彼はキャンパスを買うお金が無かった。

それで、近くにあった木(酒樽)の蓋をキャンパス代わりにしたと。

インパクトを強める為に色トーンを用いる技法として

歴史上、最も有名な作品だそうです。

とても木の蓋に描いたとは思えない作品です。

 

もうひとつ有名で、みなさんもよく目にする絵画がこちら。

 

 

Photo_2

【アテネの学堂

ヴァチカン宮殿の「署名の間」にあるフレスコです。

中央に居るのは、プラトンとアリストテレス。

プラトンは、ダ・ヴィンチがモデルです。

あらゆる所に哲学者が配置されています。

中央で頬杖をついているのは、ヘラクレス。

モデルは、ミケランジェロ。

この哲学者集団の中にラファエロは、自分自身も

描き込んでいます。

 

 

ラファエロは、聖母を数多く描いています。

 

Photo_3

【サン・シストの聖母】

この下にいる天使の絵は、色々な所でみかけますよね。

某チェーン・イタリアン・レストランの店内壁紙に

使われています。あと、バレンタインになると

この天使をモチーフにした物が出て来ます。

 

Photo_4

【大公の聖母】

個人的に、吸い込まれそうな美しさと神秘性を感じます。

この絵を見て「お前の心に嘘偽りはないか?」と尋ねられたら

「ありません。」とは、断言できない気がします。

 

Photo_5

最後にラファエロ自画像です。

このデッサンは、わずか10才の時に描いた物です。

やはり天才だと思う一枚です。

寂しそうな表情が気になります。

 

 

続いてヒロ・ヤマガタさん 

こちらは、シルク・スクリーン、リトグラフですね。

この方、滋賀県出身です。ヨーロッパで活動を始め、

後にロサンゼルスに移住し、一躍不動の評価を得ました。

元々は、日本画家だったそうです。

ヤマガタ氏の作品には、日本画を感じる作品もあります。

1984年、ロサンゼルス・オリンピックの観光誘致キャンペーンの

ポスターを依頼され、各国の役員、選手に記念品として

渡されています。

 

Photo_6

【スターライト・クルージング】 

部屋にこんな洒落た絵が飾ってあったら良いだろうな~

なんて、感じですよね~

当時、ラッセンとかの絵も流行っていましたね。

 

Photo_7

【自由の女神】1986 

これは、私もレプリカを部屋に飾っています。

ヤマガタさんは、花火を描いたもの多いです。

彼の絵の特徴と言っても良いと思います。

 

20160927_017

【モナ・リザ】1982年 

こんな可愛いのもあります。

ヤマガタ氏は、『もっと描き足したかたんだけど、持って行かれ

ちゃったんだよね。』と言っています。

レオナルド・ダ・ヴィンチと同じ、未完成ですね。

 

Photo_8

【レイニィ・デイ】1986年 

 

今迄、色彩豊かな作品を描いていましたが、このような

水彩画を描いていた時期もあります。

賛否両論あったようですが、この作品がシルクで売り出された時、

米国の一般ファンの評価も上々で、特に日本のマーケットでは、

爆発的に売れたそうです。

ヤマガタ氏も『これ、ぼくの記憶に残る水彩作品のひとつ。

 貴重で大事な作品。』だと言っています。

 

Photo_9

日本的な作品の金閣寺です。

その他、富士山や秋の宮島なども描いています。

この方は、ディズニーを描くことでも有名です。

 

Photo_10

簡単ではありますが、ご紹介させて頂きました。

私は、絵の専門ではないのでエピソードなどは、

わかりません。

ただ、見て、いいな~と感じたものです。

 

 

エルザのちょっとつぶやき 

先日、髪の毛を14cm切って来ました。

毎年、秋には髪をバッサリ切ります。

1年に1回、厄払いと気持ちの切り替えの為に切ります。

スッキリしました。

気持ちを切り替えて、また、1年頑張ります。

 

先日、妹が義弟の帰省土産を持って遊びに来ました。

その時に、熊本・益城町がどうなっているのか、両親と4人で

ストリートビューを見た所まだ、ブルーシートの掛かった所はあるものの

殆んどの家が無事だと確認しました。

ずっと両親は、実家がどうなっているのか?友達の家はどうなっているのか?

気にしていました。『その道を真っ直ぐ行って。次は右。』と両親の知合いの

家を巡りました。懐かしそうに『あ~っ、○○ちゃんちは、壊れているね。』と

幼馴染みの両親の会話に私も妹も着いて行けず…()

でも、確認できたことと懐かしい故郷を見られたことに感動していました。

母が『実家に帰った様で懐かしかった。』と喜んでいました。

妹が美容院に行ったもののイマイチ気に入らないと言うので、

私が少しカットしてあげました。

楽しい1日でした。

 

 

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