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2018年9月27日 (木)

私の闘病記 2 (パニック障害・うつ症状)

26歳。やっと治療が始まった。

まず、脳の検査、心理テストと問診を受けた。その結果、問題の根源

は、両親からの虐待と家族問題にある。今回の進路の不安によって耐

えきれずに発症したと診断された。私は、小学4年生まで父からは、

暴力による虐待、母からは言葉による虐待を受けて来ました。やった

方は、覚えてないのですよ。でも、やられた方は傷ついているので覚

えている。ずっと心の中にその事実を閉じ込めているのです。子供心

でも無かったこととして蓋をしている。子供は親に依存しなければ生

きて行けない。その為に蓋をせざるを得なかった。私の場合、もう限

界でインナーチャイルド が暴れ出したのですね。高校生の頃からイン

ナーチャイルドは、限界を訴えていたのでしょうが、私には夢があっ

た。子供の頃からアメリカに行くのが夢だった。唯一褒められた歌を

歌うのが夢だった。それを叶える為に、インナーチャイルドが出よう

としている蓋に更に重石を乗せたのでしょうね。でも、さすがに限界

を超えていた。インナーチャイルドは重石さえ跳ね除けて飛び出して

来た。『もう、いい加減にしてくれ!私に気付いてよ!』とね。

 

まず、主治医から日記を書き、その日記を診察時に見せるよう言われ

ました。初めは、何を書いて良いのか分りませんでした。とりあえず、

1日の行動から書き始めました。すると段々、感情が出て来て、感じ

たこと思い出したことを書くようになりました。その日記を見て先生

が、精神分析をして話してくれます。当時の日記を見ると『元気にな

りたい』との気持ちと少しの怒りと悲しみが感じられます。その思い

が私を支え、突き動かしたのでしょうね。日記に書かれている文字で

その時の心理状態が判ります。殴り書きはイライラや焦り、丸文字は

幼さや不安、綺麗な文字は安定を表すと思います。

 

この時期は、薬漬けでした。私の場合、うつも併発していたので、とに

かく眠らされました。眠り期が長かった。

これにも意味があると後で知りました。眠り期の大切さは、冷静さを

取り戻すところにあります。人は眠っている間に必要な情報の整理を

します。心が乱れた感情的な状態では、冷静な判断がくだせない。

混乱した状態から解放させる必要がある。だから、眠って情報の整理

をさせるのですね。この眠り期に父は、激怒し主治医に文句を言いま

した。『こんなに眠らせて、何が治療だ!』と。

それに主治医は、『飽きるまで眠らせるのも治療です。』とはっきり

言いました。確かに眠るのに飽きると、脳は覚醒し起きている状態で

も理性で考えられるようになります。気持ちに余裕が出てくる。

そうなると減薬が始まります。

 

余談になりますが、当時、元彼に救いを求めました。彼は、話し相手に

なってくれたけど、私を助けようとはしてくれなかった。主治医とそん

な話もしました。『彼に、あなたを助けようとの意思を会話から感じな

い。彼に依存しても彼にあなたを受け入れる気はない。忘れなさい。

1年の我慢。サポ-トしてあげるから。』と。この時は、彼から離れた

けど不思議な関係で10年に1回数か月繋がることになった。彼も私に

依存しているのかな?

 

初めの主治医は厳しい方で、叱られている気がしました。まず、物事

の受取り方の矯正をします。親から虐待、否定されて育つと物事の受

け取り方が卑屈になり曲がってしまいネガティブになります。その部

分を矯正します。先生の言っていることは理解できました。確かに私

には、そういう部分があると。大学病院なので、すぐに主治医が変更

になってしまいます。変更になる度に、また1から話さなければいけ

ないのは面倒でした。カルテがあるのだから、何とかして欲しいと思

いましたが、主治医の主観が違うのですよね。だから、また1からで

も話せば、自分にも新しい気付きがあるかもしれないと思いました。

 

それでも、なかなか上手くいかない。毎回の通院が面倒になって来た。

そんなある診察日、主治医に『治す気はあるのか?治す気があるから

通院を続けているのでしょう?私も治してあげたいと努力をしている。

あなたも一緒に頑張ってくれないと、私はあなたを助けられない。』と

言われ、気持ちを切り替えました。それまでは、通院していれば治る

と思っていましたから。治療に関しては、完全に医師に依存していま

した。

 

治療を始めて1年程で少しずつ症状は良くなっていきました。薬を飲

んでいれば、外出もできます。まず、子供の頃からやりたかった習い事

を始めました。エレクトーンにスイミングスクール。外出することに

差ほど不安を感じなくなったので、そこで、私はパートを始めました。

まず、近くのコンビニで早朝勤、それからスーパー。そして、28才の

時、スイミングインストラクターとして14年働きました。その間に、

乗り物恐怖は、ほとんど治まっていて、パニック発作も起こすことは

少なくなっていました。しかし、1度乗り物でパニックになると、ま

た暫らく乗るのが怖くなる。でも、また、落着いて乗れるようになる

ことは何度も経験しているので気にしないようにしていました。

 

妹の結婚、妊娠、出産で私は、忙しくなりました。仕事もパートではあ

りますが、それなりに責任のあるポジションに居ましたので。妊婦の

妹、そして姪の世話をすることで自分に自信も出て来ました。自分の人

生をやり直す気で、毎日の生活を送っていました。でも、まだまだ不安

定でした。体調は、薬のお蔭で落着いていましたが、根本的な問題は解

決していなかったので。

 

それでも、4年で安定剤の服用は無くなり、睡眠導入剤だけになった。

5年間安定剤の服薬は無かったが、再発し1種類だけまた服用を始めた。

 

つづく

 

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