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2018年9月25日 (火)

私の闘病記(パニック障害・うつ症状)

いつもポジティブな記事ばかり書いていますが、私にも闘病期があります。

よく『エルザさんは強いよね』と言われます。私だって初めからこんなだった

訳じゃないですよ。葛藤と試行錯誤の日々でした。その経験があるから、

今の私があります。柔らかさも身に付けたいと思っています。

まだまだ、クソ真面目な部分があり、学ばなければいけない事だらけです。

数回に分けて、かなりアバウトに書きたいと思います。

 

✿プロローグ

当時、高校3年生の私は、家庭に問題を抱えながらも楽しく学校生活を

送っていました。卒業後、アメリカへの短期留学も決まっていました。

ある日の日本史の授業中、動悸とめまい、そして息苦しさで保健室

に運ばれました。その後も、日本史の時間になると発作のように同じ

症状で保健室に運ばれました。日本史の先生は厳格で姿勢さえも厳しく

教室内は、いつも緊張感で包まれていました。その緊張感に私は耐えら

れなかったのでしょうね。授業が終わると、みんなが声を上げます。

『ああ~っ!息が詰まるんだよ。』

保健室に運ばれた私は、手の指先が冷たくなり、息は荒く震えが暫ら

く止まりません。何故か涙まで出てくる。その後の授業は勿論、受け

ることは出来ず、父に車で迎えに来てもらい帰宅します。

この当時、大学病院の脳神経外科で検査をしていますが異常なしでし

た。今、振り返ると、この時の症状は、パニック発作ですね

 

そんな状態でも、卒業後、アメリカ・ロサンゼルスに。不思議と発作

を起こすことはありませんでした。毎日、色々な刺激を受けて、それ

なりに楽しかったです。そんなこんなで半年で帰国しました。帰国後

は、バンド活動をしました。バンドは、高校生の頃からやっていて、

コンテストで最優秀ボーカリスト賞を頂き、審査員の先生からプロに

なることを勧められていました。私もその気になりプロを目指しまし

た。バンド活動は、うまく行かず、友達の勧めで湯川れい子さんに会

い、ボイスレッスンの先生 神山純一氏を紹介して頂き、先生の所で

スタジオミュージシャンを目指しましたが、途中でジャズシンガーへ

と進路を変更しました。

 

先生の所でレッスンを始めて3年経っていました。自分で決めた

リミットの年齢、25歳になっていました。いつものように先生の

レッスンに通う為、六本木に向かって電車に乗っていました。

乗車時間は、約1時間。いよいよデビューをとの話も出ていましたが

何とも言えない焦り、嬉しい様な、寂しい様な、不安を感じていた。

 

この日は、梅雨の雨が降っていて、車内の窓ガラスが熱気で曇って

いました。何となく嫌な感じがしてきました。動悸が始まり、目が

まわり息が出来ない。今、思い起こせばパニック発作です。

車内でしゃがみ込み息が出来ずハーハーしていると、私の周りに居た

人達は、どんどん私から離れて行きました。私は、誰か助けてと云う

気持ちだったのに、変な目でみんな私を見て、誰ひとり助けようとは

してくれなかった。私は、なんとか立ち上がり途中下車をして、駅の

ホームのベンチで休みました。どうして、誰も助けてくれないんだ。

異常者を見るような目で私を見て。悲しくて、涙が出た。少し落着

たが、このまま先生の所へは行けないと、近くの公衆電話から先生

に電話をしてキャンセルした。その後も、電車に乗ると発作を起こ

した。パニック発作による乗り物恐怖になり、レッスンに通えなく

なってしまった。先生からは、身体を治してと言われました。

 

私は、部屋に引きこもり毎日泣いていました。もう、歌えない。

そんな自分が歌を忘れたカナリアのような気がして、すっかり落ち込

み、うつ状態になっていました。支えを失い、生きている意味がない

と思った。

食事もしない、お風呂も入らない、毎日ベッドの中で泣いていました。

そんな私を見かねて時々、父が強引にお風呂に入れました。今、考え

ると、朦朧としている年頃の娘の身体を洗う父の気持ちを考えると涙が

出ます。子を思う親の気持ちに感謝しかありません。

 

そんな生活を1年続けました。さすがに自分でもなんとかしないと

いけないと近くの大学病院に行きました。まず、動悸とめまいが

気になったので内科で心電図の検査をしましたが、異常なしでした。

それ以外にも内科で全ての臓器の検査をしましたが異常なし。どうし

たものかと内科医に話すと、耳鼻科を紹介してくれました。耳鼻科

でもめまいの検査をしましたが、異常なしでした。耳鼻科の先生が

精神科に行くことを勧めてくれました。精神科は、私が行く所では

ないと思いました。1980年代。まだ、精神科は異常者が行く所との

見方をされていました。しかし、このままではと思い、精神科に行き

ました。

 

精神科の待合室にいる人達は、いたって普通の人でした。みんな、

何処が悪いのだろうと思う人ばかりで。やっと私の症状に病名が

つきました。『不安神経症』(のちにパニック障害となる

不思議なもので、ホッとしました。これで、治療が出来ると。

 

つづく

 

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