無料ブログはココログ

« 私の闘病記 3 (パニック障害・うつ症状) | トップページ | 私の闘病記 5 (パニック障害・うつ症状) »

2018年10月 1日 (月)

私の闘病記 4 (パニック障害・うつ症状)

治療を始めて26年。ここでやっと本題の解決が始まった。それまでに、

自分との向き合い方や家族の在り方などの思考法を模索し葛藤をし

て来たので、ある程度、自分に関しては理解が出来ていた。ここか

ら、改めて子供の頃に受けた両親からの虐待、この傷を癒さないと

いけない。

その協力をしてくれたのが、カウンセラーの西村先生。彼女は、私に

とって3人目のカウンセラーさんになりますが、今迄のカウンセラー

とは違った。今迄のカウンセラーは、優しい父親と母親のように受止

めてくれた。しかし、彼女は違った。受止めてくれない訳ではない。

年齢的にも近く、厳しい姉の様だった。とにかく、私の頭に浮かんだ

ことを話させる。自問自答の様な感じになる。それを黙って聞いてい

る。話が本題から反れると止めて、軌道修正をしてくれる。初めは怖

かった。自分の考え方を否定されたらどうしようと。恐々と話しをし

ていた。回数を重ねるうちに否定されることはないと思い、ただ頭に

浮かんだことを話した。この自問自答的な感じが、自己分析の助けに

なった。今でも、この手法で問題の解決をする。それと彼女はスピリ

チュアルのことも受け入れてくれた。普通は、突飛な考えだと捉えら

れる事でも、彼女は答えてくれた。

西村先生に『あなたは、霊感の人よ。感情憑依には気を付けなさい。』

と言われた。先生曰く、私の乗り物恐怖は、霊感の強さのせいだと言

う。大勢の人の中に入ると、感情憑依されるからだと。だから、気持

ちをしっかり持ちなさいと言われた。カウンセラーの言葉とは思えな

いが、確かに、そうだと思った。曾祖母と母も霊感が強い。子供の頃

から相手の感情には敏感だった。この頃から頭にポンと言葉を投げ入

れられることに気付いた。守護霊の存在を感じた。自問自答のように

話していたが、どこからこの言葉が出て来たのだろうと思うことは、

しばしばあった。

 

一般的にカウンセラーさんは、悩みの答えをくれるとのイメージ

があるようだが、それは違います。患者の心の中にあることを引

っ張り出してくれる。問題解決の提案は、してくれますが、最終

的には自分自身で答えを出すことになる。ここでも、カウンセラ

ーさんに依存すると治療が上手く行かない。期待に応えてくれな

いとか甘えることは依存することになる。それは、治療の邪魔を

するのだ。

 

何度もこのブログで書いている言葉だが『やりたければやれば良い。

やりたくないなら止めれば良い。』とのアドラー思考を教えてくれた

のも、エリスの“ねばならない思考”を教えてくれたのも彼女です。

この思考で私は、過去の忌わしき事を流しました。その時の父の心

理、母の心理に気付き、理解し許しました。勿論、黙って許した訳

じゃありませんよ。ちゃんと私が子供の頃、感じていたことを両親に

話しました。父も母も記憶にないのですよ。でも、父は受止めて、謝

罪をしてくれました。母に関しては、認めることもしないし、謝罪な

んてありませんが、私としては、ぶつけたので、それで終わりです。

母の気持ちも理解できます。母も父の暴力の被害者ですから。でも、

母親として子供を守って欲しかった。母には、母性が欠けていると私

は解釈しました。両親の生立ちを理解し、ひとりの人間として見ると

納得できる。そういう人なんだとね。

西村先生が『あなたを見ていると太陽と海が見える。』と言った。

いまだに謎の言葉だ。私の前世でも見えたかな?

 

西村先生のカウンセリングを始めて、私は自分の中に柱ができた。

それと大きな収穫があった。それは、両親を許す作業をして、自然と

他者を許すことが出来るようになった。許すと言うと上から目線にな

るが、流すということ。負の感情を持ち続けないということが出来る

ようになった。これは、私にとってとても有難い収穫だった。

ずっと負の感情を持って来たので、その重さや苦しさを知っている。

それを手放すことが出来る術を身に着けることが出来たのは、有難い

ことだと思った。もし、負の感情を持ったとしてもすぐに手放す作業

が出来ます。もし、ひとりでは重いと思ったら、友達に助けを求めま

す。この点でも私には、良いアドバイザーがいます。有難いことです。

 

一人暮らしもしてみたが、一気に一人暮らしと新しい仕事に就いたこ

とで疲れてしまい、退職し、また実家へ戻ることになった。当時の仕

事は、子供英会話教室の受付だ。受付けは、私ひとりだった。一人で

ネイティブの先生とは英語で会話し、父兄とは日本語で会話。病み上

がりの私は、英語脳と日本語脳の使い分けに混乱して疲れてしまった。

 

また、引き籠りの状態になった。しかし、守護霊は私に新しい仕事を

与えてくれた。実家のマンションの理事長。ブログでも書いている通

り我マンションは問題を抱えています。もう、父達の世代はリタイア

して私達 子の世代になっている。しかし、成り手がいない。結局は

以前から理事会に参加していた3人がやることになった。それが私の

ブログによく出てくる3ババ』。私は、理事長を1年で辞めさせて貰

いました。ストレスで免疫系の病気が続き、それが悪化しリウマチに

なったからです。しかし、理事ではあります。私達3人は、それぞれ

の得意分野を活かし、持ち寄り協力して管理組合を運営しています。

収入はないけど役目を与えてくれた。そこにも意味があり、気付きや

学びがある。社会的な知識も身に着いたと思う。

 

妹がおもしろいことを言った。『悩みを解決したければ、自分が相談

相手になれば良い。もし、友達が同じ相談をしてきたら、何て答えて

あげる?それが、答えなんだよ。』と。

 

つづく

 

« 私の闘病記 3 (パニック障害・うつ症状) | トップページ | 私の闘病記 5 (パニック障害・うつ症状) »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 私の闘病記 4 (パニック障害・うつ症状):

« 私の闘病記 3 (パニック障害・うつ症状) | トップページ | 私の闘病記 5 (パニック障害・うつ症状) »