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2019年4月

2019年4月27日 (土)

嫌な人との出会いの意味 

まずは、美輪明宏さんのお言葉を。

 

上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)
これは、人の魂の質を分ける時に使うのです。
上品は、人の理想的な人格、清くて正しくて慈悲に溢れていて優しい、人の為に涙する、そして強くて厳しい所もある。
中品は、そこまで行かないが、そのパワーを半分持っているが、下品ではない、意地悪とかそういうものではない。
下品は、悪い人の条件を全て持っている。妬み、嫉み、僻み。それはマイナスの状態の魂を一手に引き受けている人。
人は上品と接し、少しずつ浄化し上に上がって行くもの。
それが、人間の生まれて来た『意義』です。
それをやる為に私達は、憎んでみたり投げやりになったり諦めてみたり自分を責めたり人を責めたり後悔したりするが、それは全て修行なのです。

 

 

嫌な人と出会った時、誰もが感情的になると思います。
美輪さんが、おっしゃるように人には品格(レベル)があります。
嫌な人と出会った時、品格レベルが違うのだと流すのも良いかと思います。下品を相手にすると自分のレベルも落ちますからね。でも、もしかしたらそのお相手は、自分より上品かもしれない。
【起ることには、すべて意味がある】
だとしたら、そこに学びがあるから引き合せたのかもしれません。もし、そうだとすれば冷静に考えて欲しい。そこに何のメッセージがあるのか。何を気付かせようとしているのか。何を教えようとしているのか。嫌な人との出会いもまた必然です。その人と関わることで、自分の弱点を強化したり流す術を習得したりとそれなりに成長の学びとして必要な場合もあるのではないでしょうか。自分と同じような人ばかりの中では、成長はありません。もしかしたら、レベルアップの為の出会いかもしれません。それに、気付けた人はラッキーだと思います。

 

【引き寄せの法則】で引き寄せてしまったのかもしれません。
疲れていたり、いつもと違ってネガティブ思考になっていると、悪しきものを引き寄せてしまことがあります。振り返って、思い当たることが無いか確認してみるのも良いかと思います。
思い当たることが無ければ、流せばいいのです。

 

 

私の龍神様が言いました。
『暴言を浴びた時、相手の言葉の裏を読め。そこには、相手の本心がある。暴言は、嫉妬や弱さゆえ発せられる言葉じゃ。それに気付ければ、腹も立たぬ。流せばよい。それも学びである。嫌なことをされた時は、振り返れ。自分も誰かに同じことをしなかったかと。そして気付けば反省すれば良い。お主は、暴言を浴びた時、なぜ相手がそんなことを言ったのかを考える。それは、良き事じゃ。しかし、助けだと気付くと助けようとする。余計なお世話じゃ。捨て置け。お主の善意が通じない相手もおる。素直に助けて欲しいと言って来た者のみ助ければ良い。お人好しにも程がある。そうやって、お主はいつも・・・』
と、龍ちゃんの説教は続きました。^^;

 

日々の出来事は、成長の為にあります。
先日、知ったのですが、今の若い人は『因果応報』(カルマの法則)のことを『ブーメラン』と言うそうですね。これは、解かり易い。自分がしたことは返ってくる。まさしくブーメランですよね。近年、このブーメランが返って来るのが早くなっているらしい。宇宙の法則ってやつで。
良いことも悪いこともすべて学びだと、常にアンテナは伸ばして素直に受け取れるようになりたいものです。

 

私は、最近、嫌なことはありません。こんなに平和で良いのだろうかと思うほどです。自分で言うのも変ですが、それだけ自分に正直に生活できているのだと思います。穏やかな日々に感謝して過ごしています。嫌なことがあっても感謝する気持ちがあると、スーッと消えて行くものです。
嫌なことは、実は自分で引き寄せている場合もあります。そうやって、守護霊様が気付きなさいと言っているのかもしれません。そう考えると、実は有難いものでもあると思います。嫌なこともポジティブに受け取れるようになると、感情的にならず学びとして起ったのだと流せるようになります。そうなった時、たましいのレベルは、上品(じょうぼん)に近づいているのだと思います。

 

 

 

2019年4月22日 (月)

つぶやき 39 夫婦

今日、4月22日は、よい夫婦の日だそうです。
先日、お友達のブログで結婚に関する名言を拝見しました。
こんなにも結婚に関する名言があるのだなと思いました。
結婚も人それぞれの考えがあると思います。
それも時代の流れと共に変って来ていると思います。
最近の流行は、籍を入れずに同居する「事実婚」だそうです。
私は、賛成ですね。メリット、デメリットはあるでしょうが、お互いに自律していると云う意味で良いと思います。
結婚とは、お互いに助け合い、苦労を乗越える為にするものだと私は思っています。人生のパートナーですよね。
しかし、結婚という形式を取ると依存が生まれる気がします。
日本文化がそうさせるのでしょうが、男女ともに自立、自律が出来ていないと共同生活は難しいと思います。
先日、芸人のKさんが結婚を発表しました。彼の結婚を決めた理由にネットでは、賞賛がされています。
【価値観】これ、大事です。金銭だけでなく、物事の善悪に関してもです。

 

 

結婚も引き寄せの法則が関係していると思います。
【類は友を呼ぶ】夫婦って似ていますよね。
女性は、ただ一緒に居たいからとの理由で結婚に憧れる人もいます。そして、いざ結婚すると「こんなはずじゃなかった」と嘆きます。「こんな人だと思わなかった。」と嘆きます。
出だしから間違っているから、そうなるのですよ。
憧れや理想だけでは、一緒に暮らすことは出来ません。
男性も同じです。結婚して子供ができると「急に彼女は冷たくなった。」と嘆きます。そういうの幼くないですかね。

 

 

ちょっと表現が過激になりますが、男性は一生オスです。しかし、女性は子を持つとメスから母親になります。もう、オスは必要なくなるのです。特に子供と同じように奥様を母親代わりにするような男性は、邪魔です。「男だって父親になるじゃないか」との意見もあるでしょうが、本能として男と女は違います。その例として「ニオイ」があります。女性は、自分の遺伝子を残すのに相応しいニオイを基にします。ラブラブの時は、ステキなニオイでも子を産むとクサイに変るのです。それは、すでに自分の遺伝子を残す相手ではないから、子をオスから守る為との説もあります。
では、男性は何を基に女性を見るかと言うと、体つきです。腰回りのしっかりした女性です。自分の遺伝子を持った子をしっかりと育ててくれる体との判断だそうです。
しかし、その野性的な本能が現代は崩れているそうです。女性も相手を変えメスになるらしい。そして男性は本能を失いかけているらしいです。
脳科学者の中野信子さんも言っていますが、結婚という制度は見直す必要があると。ヨーロッパでは、すでに見直しがされているようです。生物学的にいうとそうなるのですが・・・

 

 

そうは言っても、結婚にも学びがあります。まったく違う環境で育った他人と一緒に生活することで学びます。結婚相手を選ぶ時は、誰でも慎重になると思います。しかし、今の時代、離婚も視野に入れ結婚を考える人もいるようです。駄目なら別れりゃいいやと。その考え方が、その夫婦の形になると被害を被るのは、子供です。夫婦がお互いを大事に出来ないのに、どうして子供を大事に出来るでしょうか?結婚という形式にもっと慎重になるべきだと思います

 

 

私は、独身です。結婚の経験はありません。結婚願望もなかったし、メスになりきれなかったかな^^;
だから、偉そうには言えないのですがね。
今迄の人生で1度だけ結婚を考えた男性がいます。
10代の頃の彼氏です。以前、このブログにも書いたと思いますが、彼とは離れても10年に1度繋がるのですね。これも、守護霊様の計らいだと思います。守護霊様は、その時に必要な人と繋げてくださいます。そして、助けられ学ばせてくださいます。彼とも再会する時は、お互いに必要な学びや助けが必要な時期でした。
そう考えると、彼とはソウルメイトかなと思います。

 

 

私は、自分の選んだ女すら幸せに出来ない男はダメ男だと思います。そして、自分の選んだ男を大切に出来ない女はダメ子だと思っています。結婚には、責任があります。その責任が果たせない男も女もダメです。だから結婚は忍耐が必要なのですよね。
そうやって、学び成長するのでしょう。
私の妹夫婦を見ていると素晴らしいと思います。賢い夫婦だと思います。義弟は、実に女性の扱いが上手です。
最近は、『妻のトリセツ』(黒川伊保子)が話題です。脳科学の面から女性の扱い方が書かれているようです。
日本人男性は、女性の扱いが下手です。女心って複雑です。

 

 

男性だけを責める気はありません。ご主人に嘆いている奥様、そのお相手は、あなたが選んだのですよ。そこには自己責任があります。ご主人の悪口、不満を他言するのは、下品です。それと、「私は、こんなバカを選びました。」と言っているのと同じです。恥を知りなさい。思いやりを忘れずに仲良く過ごしてくださいね。折角のご縁なのですから、大事にしてください。

 

また、長文になりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

 

 

2019年4月18日 (木)

つぶやき 38 

久しぶりにつぶやきを…

 

まず、『悪意と善意』の記事を書いた後、追記をすれば良かったなと思いました。本来、人間は誰でも悪意と善意を持っています。
記事にも書きましたが、そのバランスに問題はあると思います。
そのバランスは、その人の知識と経験、そして育ちにあると書きました。
人は学ぶ為に生まれて来ます。色々な経験は学びになります。だから、色々な事が起るのですよね。時に善意に触れ、時に悪意に触れ学ぶのでしょう。

 

あるお坊さんの動画が気に入ってチャンネル登録をしています。
まだ、若いですがフランクにお話しする姿が気に入っています。けっして説法ではなく、隣のお兄ちゃん的な感じで、自分の経験を活かして生きるとは、悩みとは等のお話をされています。そのお話の中に『人生はバイオリズムに乗って上手く進むと良い』みたいなお話があります。誰でも良い感じだな~と思っていると急に落ち込むことがある。それは、調子に乗るなよとのメッセージだったりするのかもしれません。落ち込めば這い上がるしかない。そして、また、良い感じだな~と思った時、前回の落ち込みを思い出し、気を引き締める。そうすることで、落込みも回避できる、落ち込んでも前回ほどではない状態を作れる。そうやって初めはアップダウンが激しかった波が段々緩やかになり、穏やかに過ごせるようになるのだとのお話でした。
誰でも同じなのですよね。アップダウンは、付きものです。それがなければ『学び』はありませんから。

 

 

久しぶりに龍神様とお話し(?)しました。カードは使っていません。最近の穏やかさに感謝していると、スーッと現れました。
『お主の負けず嫌いが、良い方向に向いたのだな。お主は、太陽の人間だ。お主を守っている神は、すべて太陽の神だ。お主の魂は、神託を伝えることに喜びを持つ。それが故、お主は守られていると云う事じゃ。だから、お主も太陽でいられる。お主は、幼き頃から優しい太陽じゃ。』
『龍ちゃん、毎日ディナーだね。』
『そ…そんなことは…ない。』
そう言って消えて行った。

ちなみに、なぜご馳走かと言うと、龍神様は付いている人間の経験や感動を栄養としています。だから、頑張る人間には喜んで助けようと神様との間を取り持ってくれます。栄養をもらえない人間からは、離れて行くそうです。

 

 

私に語りかけて来る存在が、龍神様なのかはわかりません。
しかし、内容的にそうかなと思っています。
守護霊様は、丁寧な言葉で語りかけてくださいます。
ある友人が、それは私の中からの声で、外からのものではないと言いました。元々、私が持っている考えだと。
だとしたら、私は凄いものを持っていることになります。
だから、それは考えられません。まあ、神は内なる存在だと言いますが…確かに、自分の中で起っていることでしょうね。
子供の頃、はっきりと見えない存在の声を聞いたことがあります。
それは、はっきりと外からの声でした。低い男性の声で空気の中を響かせるような声でした。内容も覚えていますが…叱られました。怖かったな~。慌てて布団にもぐったのを覚えています。

 

 

守護霊様から昨年の末からずっと『良いことがありますよ。』とのメッセージを貰っている。しかし、なにもない。どういうことかな~と考えてみた。もしかしたら、過去の清算をしないといけないのかなと、ここ10年程の出来事を自分の中でまとめてけじめを付けようと書き出しました。それを別ブログにアップしようと思いましたが、相手が幸せに暮らしているのなら、真実を教える必要もないと思い、自分の心の中だけに納めることにしました。書き終わって、ふっと思った。今回の出来事の結論を4月が終わるまで待とうと決めていました。しかし、流れが違って来た。気付くと4月が終わるまでに心の整理ができる方向に進んでいる。
私の気持ちと出来事は、文章にまとめました。気持ちも落ち着いてきました。そして、注文予約していた江原さんの新書『聖なるみちびき~イエスからの言霊~』が届きました。
あ~っ、また、守護霊様だ~!ちゃんと導かれ、私は無意識にそれに従っている。すべてがタイミングよく起っている。これを読んで、本来の穏やかさを取り戻しなさいと云うメッセージだなと思いました。やられた~(>_<)と思った瞬間、涙が出て来た。感謝の気持ちでいっぱいになった。ありがとうございますと手を合わせた。偶然はない。すべてが必然である。
この先に、必ず嬉しいことが待っている。そんな気がします。
嫌な事にもメッセージはある。嫌な事があると感情的になるけど、お友達の助言もあり冷静さを取り戻し、なぜその事が起ったのかのメッセージを受取ります。
時に龍神様が教えてくれることもあります。友達の言葉にハッとして気付く時もあります。自分で言うのも変ですが、それに気付ける自分も素晴らしいと思います。私の心が汚れていたら気付けないだろうな~。な~んて思っています。

 

 

令和という新しい年も迎えます。気持ちを正して、しっかりと歩んで行きたいですね。

 

 

 

2019年4月12日 (金)

本当のプライドがあれば強くなれる 

江原さんの本(悪意・善意)にいいことが書かれているので、みなさんにもお裾分けします。


『現代人は、弱い。』と江原さんは言います。まあ、昭和の前半に育った人達は、まだ貧しい中にいたので、たくましく育っていると思います。性格的な物もあるでしょうね。『なにクソ!それがどうした。』って根性があると乗り越えて行けるものだと思います。
そんな強さがあるのが、プライドだそうです。
プライド=傲慢ではありません。

プライドとは、自分が受けて来た愛を守る力だそうです。
私達は、ひとりで生きて来た訳ではありません。沢山の人の愛を受けて生きて来ています。めそめそしたり、傷ついていては、自分を愛してくれた人達が哀しむ、申し訳ない。だから私は毅然と生きて行く。そう思える力、それが本当のプライドです。

 

このことに、どれだけの人が気付いているでしょうかね。
愛は、ぬくもりなのですよ。
ぬくもりは、心地いいです。気持ちを穏やかにしてくれます。
本当の愛を知っていれば、自分を平気で傷つけるようなことはしない、できないと思うのです。
愛されているとの自覚がない、信じられないと言う人は、やはり弱いとしか言えないと思います。

 

平気で自分を傷つける子には、『ひとりで生きていると思うな。お前の身体の中には、家族みんなの愛が宿っている。その愛をどうして大切にできないんだ。』と心の底から伝える。そうすれば、子供の心に本当のプライドが育ちます。『お前が、そんなことをしたら、私も侮辱されたのと同じだよ。』『手塩にかけて育てて来たのに、なんて恥ずかしいことするの。』との言葉に、子供もハッとするでしょう。

 

私は、これは男女の愛、友達への愛にも言えることだと思うのです。愛すると云う事は、安心を届けるということだと思います。それを信じられない、受取れないのなら、その人は弱いと思います。そこには依存心がある。本当の愛に気付かず育ったのでしょうね。プライドがないと言えるでしょう。
私は家族からの愛、友達からの愛を受取っています。だから、そのぬくもりを信じています。私も彼らに愛を届けたい。毎日を穏やかに過ごせるよう願います。幸せになれるよう守ってあげたい。私には、ごく普通の行為なのです。
しかし、それもある事がきっかけで理解できました。それは、幼い私に頬ずりして幸せそうに微笑んでいる両親の写真を見たことです。中学生まで、自分が嫌いでした。「何で私なんか産んだんだ。」と思っていました。一時的に親からの虐待もありました。でも、私は愛されていると、その写真を見て思いました。涙が止まらなかった。それから、自分を大切にしよう。私を愛してくれる人達を大切にしようと思いました。そして守って行こう。守る為には強さが必要です。そう、母の様な強さです。太陽の様なぬくもりです。そうなれるよう日々精進しています。有難いことに感情的になると龍神様や守護霊様がメッセージをくださいます。時に友達の口を借りて、ハッとする物を見せたり、私を試したりして教えてくださいます。それも守られていると感じ、感謝もしています。

 

 

よく『エルザさんは、強いですね。』と言われます。私は強いとは思っていません。弱い部分もあります。でも、『守る』と云う点には、強さがあると思っています。私を強いと思う人は、私の中にあるプライドに気付いているのだと思います。
本当のプライドを持つと強くなれるのですよ。
愛の力を知ると、信じると、強くなれるのです。
嫌な事があってもプライドがあれば、必要以上に自分を傷つけたりしない。自分を愛することが出来なければ、他者を愛することは、出来ないでしょう。本当のプライドを持っている人は、自分に自信があります。それは、『愛』というエネルギーを持っているからです。たましいは、愛がなければ育たないと思います。

 

 

若い方には、ここで語る『愛』とは何か?との疑問があると思います。
簡単ですが、説明させて頂きます。
ここで語る『大我の愛』は、見返りを求めない。ただ与えるのみ。
「私がこれだけ愛しているのだから、あなたも私を愛して。」
これは、小我の愛なのです。相手に尽くすのは自分の為ではなく、相手の為と云うのが本来の愛し方ですよね。上記の言葉は、「あなたも私を愛して」と見返りを求めています。押し付けになってもいけない。
また、『大我の愛』は、「母性」でもあるのです。これは、男性でもです。
母の様な愛とは、相手の苦しみを自分の事として感じられる。相手の為なら厳しく接することもできる。あえて嫌われ者にもなれます。そして、無理をしない。自分に引き受けられない、責任の取れないことはしない。後は理性ですね。感情的になると本当の姿が見えなくなります。どうしても、嫌われたくないと無理をすると思いますが、無理をすると長続きしません。無理をして相手の色に染まることもないのです。それは、あなたではなくなるのですから。苦しいだけです。愛は思いやり。自分も相手も信じる力。
人には『器(うつわ)』があります。受取るのも「器」がないと無理なのですよ。わがままを言って困らせるのも小我です。相手を信じて、ただ「ぬくもり」だけを届ければ良いのですよ。本当の意味で自分を愛していれば、同じような人が集まって来ます。(類魂の法則)
器は、色々な人と関わることで大きくなります。だから、恐れず色々な人と関わってくださいね。昔の人は『苦労は、買ってでもしろ』と言いました。
経験と感動は、人を大きくしてくれます。あなたは、ひとりじゃない。あなたを守ってくれている見えない存在がいます。それは、守護霊やご先祖様だったりしますが、あなたを愛する人の気(オーラ)だったりもするのです。愛されていない人などこの世にいません。どうか、自分を愛し、信じる強さを持ってください。

 

 

また、長文になりましたが、誰かの為になれば幸いです。

 

 

 

 

2019年4月 9日 (火)

悪意と善意 

平成の時代に社会問題になっている悪意(虐め、ハラスメント等)をどうすればいいのでしょうね。悪意を受けて気持ち良い人はいません。個人的にそれらを裁きたくなりますが、それは違うのですよね。裁きたければ、法的手段にて裁けば良いのです。感情ではなく理性で裁くのが良いと思います。

 

 

脳科学の世界では、悪意はすべての人が持っている細胞だそうです。しかし、その悪意が出るか、出ないかは、親の育て方、教育にあるそうです。

 

 

個人レベルでできることは、言い返す強さも必要なのでしょうが、無視することですかね。
そして、自分の思考を変えることですかね。
感情的になった方が負けだと思います。やはり理性が勝つと思います。そうは言ってもね~。悪意を向けられた方は、辛いですよね。
私も小学生の時、一時的に虐められた経験があります。その時、父が言いました。『相手にするから面白がって虐めるんだ。反応するのを楽しんでいるんだから、相手にするな。』
確かに、虐めは無くなった。でも、ある程度の大人になるとどうしたものか・・・
そういう時は、こう考えてみる。
【悪意の根源は「弱さ」と「無知」】だそうです。
『虐める人は、弱いんだ。無知なんだ。かわいそうにね~と流しなさい。』江原さんは、そう言っています。

 

江原啓之さんは、こうも言っています。


幸せな人は意地悪をしない。他人に対して過剰な非難を浴びせる人は、例外なく不幸である。なぜ、不幸なのか。弱いからです。自らの力で弱さを克服し、幸せを掴むことが出来ないから、フラストレーションがたまる。それを自分以外の人間を攻撃することでしか解消できない。つまり「私は不幸です」と言っているのと同じ。「私は心が弱いので、自分の力で幸せになることが出来ません。だから、他人に対して意地悪をしています。」と言っているのと同じ。それは、とても恥ずかしいこと。昔は「恥を知れ」と言ったものです。弱い心は弱いままです。
(中略)
「無知」もまた「悪意」を生み出す源である。人の本当の幸せとはなにか。人を心から愛するとはどういうことか。「無償の愛」「神の愛」とはどういうものか。生きるとは、まさに「無知」を「知」に変える作業である。

(悪意・善意より)

 

 

愛は小我(利己的自己愛)ではなく、大我の愛でなければならないと江原さんは、綴っています。
大我の愛とは・・・
見返りを求めない。
「母の視点」であること。
結果に責任が取れる。
感情ではなく、理性であること。

この4つをあげています。

 

 

では、善意とは?
「善意」との言葉を聞くと「胡散臭い」と否定されがちだ。そもそも本当の「善意」というものは、人の目に触れにくいもの。昔は「陰徳(いんとく)」という言葉がありました。人から隠れて徳を積むこと。本当の善意と、そうでない善意を見分けられる力を持つことは大切です。本当の善意とは、マザー・テレサのような「大我の愛」です。多くの人は「小我の愛」を満たすのが幸せだと思っている。物質的に豊かな人=幸せな人ではない。人を幸せにするのは「大我の愛」なのです


(悪意・善意より)

 

 

善意は、気付いてもらえないこともあります。しかし、この陰徳も返って来ます。嬉しい知らせとして返って来ます。善意は、相手にぬくもりとして通じているものです。とても心地良いものとして、相手の心の中に残っています。だから、通じているよと返って来るのですよ。見返りは求めてなかったけど、良い形で返って来ると嬉しいものです。

 

 

あまり悪意とか善意とか過敏になることもないのでしょうが、真剣に悩んでいる方もいると思います。
カルマの法則で、自分の蒔いた種は、自分に返ってくると言うのですが、これも悪しき物も善き物も返って来るのです。だから、自分が犯した罪は、どこかで償うような出来事が起るのですよ。だから、仕返しだとかしないこと。すべて天が裁いてくれます。そんな暇があるなら、知識を得て賢くなった方が、得です。くだらない人達と同じ土俵に登って暴れることはないのですよ。あなたは、あなたでレベルアップすれば良いのです。私の龍神さんが言いました。
『愚か者は捨て置け。悪意は跳ね除けろ。お主のレベルが下がるぞ。』
それは、まずいですよね。それは、龍神さんも困ります。やっとこさ、ここまでレベルを上げるように支えて来たのに、下げるような行為をされてはね。龍神さん自身のレベルも下がってしまいます。
『悪意から脱け出す術は、相手の言葉の裏を読むことじゃ。すれば、相手が愚かだと気付くはず。気付けば憐れんでやれば良い。』
私の龍ちゃん、言うよね~。でも、もう少し穏やかに言って欲しいな。まあ、私の龍ちゃんだから、怖いか…^^;

 

 

毎回書きますが、ものは考え方次第でどうにでもなります。
冷静に理性で考える癖を付けると楽になると思います。
感情的になると振り回されて苦しくなります。
落着いて、冷静に、いたずらに不安を作らない、ですね。
強さを身に着けること。自己肯定感を強めること。
現代の悪意は、こんなレベルのものではないでしょうが、とにかく逃げること。相手はサイコパスなのでしょうから。

 

 

 

 

2019年4月 4日 (木)

自分に自信がなくなったら

         Photo_1


人生には、色々な出来事がありますね。
仕事で失敗した、受験で失敗した…
そんな時、誰もが落ち込むことでしょう。
落ち込んで良いのですよ。気が済むまで泣いて良いのですよ。
世間では、ネガティブはいけないことと受け取られがちですが、私は、そうは思いません。
ネガティブな人は、慎重です。 誰だって、ネガティブな部分は持っていると思います。
ネガティブな人は、自分のペースがあるのだと思います。
それが自分だと思えば、いけないことではありませんよね。
ポジティブとネガティブのバランスには、個人差があると思います。
不安も同じです。不安だから、そうならないように努力をするのなら、それはいけないことではないと思います。
不安もまた慎重な人が抱きやすいと思います。
不安は、自信の無さが原因だと私は思います。
自信が持てるよう学ぶ、行動すればいいのでは?
不安を乗越えた先には、自信というギフトがあります。
ネガティブも不安も生き辛さが無ければ、持っていて良いと思います。それがあるからこそ、人は成長できるのかもしれません。

 

 

常に無理のない等身大の自分を知ることは大事だと思います。
周りの人と比べてしまうのも自信の無さではないでしょうか。
比べて落ち込む、嫉妬する。これは、自分は相手より劣っていると、どこかで思っているからではないでしょうか。
嫉妬するのは、相手が羨ましいからではないですか?
それなら、自分もそうなれるよう努力をすればいいのでは?
負の感情の裏にある意味は、本心だと思います。
『嫉妬するなら相手の苦労も受け入れなさい。そこまでの想像力が無いのに嫉妬するのは、ただの我が儘です。』 江原さんの言葉です。

 

 

アドラーは言っています。
『人間は上下の関係ではなく、左右横の関係である。』
『健全な劣等感とは「他者」との比較ではなく「理想の自分」との比較から生まれるものだ。』

 

 

ものごとは、自分の解釈の仕方で良くも悪くもできます。
自分を癒せるのは、自分しかいません。
人は誰でも常に成長していると思います。
日々の出来事で考え、行動し、成長していると思います。
10年前の自分を思い出してみてください。
どうですか?少しはたくましくなった気がしませんか?
周りの人に助けられ、鍛えられ、少しでも成長していませんか?

 

 

人には、個性があります。
自分には、自分のやり方、ペースがあります。
他人が、それを変える権利はありません。
忙しい日々で自分が解からなくなって焦ることもあるでしょう。
そんな自分に気付けるよう、自分との会話の時間を作ってみては如何ですか?自分に余裕が無くなると誤作動を起こします。
『私、このままでいいのかな?』と確認してみては?
この言葉に引っ掛るものがあるのなら、どこか修正が必要なの
かもしれません。
自分との会話の時間なんか作れないと言うのなら、寝る前に
『今日も1日頑張りました。ご苦労様。』と自分を褒めてみては?
良い言葉を自分にかける。それは、癒しにならないでしょうか。

 

 

信頼できる人に相談するのも良いかもしれません。
しかし、相談することで逆に混乱する場合もあります。
自分の芯がある人でないとコントロールされ混乱するかもしれません。
自分の事は、自分で解決できると良いのですが…
自分でどうすれば?と云うのであれば、【エモーショナル・ファースト・エイド】という手法があります。
参考になる書籍を紹介します。


自分で心を手当てする方法/ガイ・ウインチ著(高橋璃子 訳)

 

メンタリストさんの動画もあります。
営業妨害になるといけないのでリンクは貼りません。
『傷ついた心 科学的に治す』で検索してください。
(かなりの早口なので驚かないように。でも内容はGOODです。)
この手法が出来る状態は、まだ自分に余裕がある状態だと思います。
内容を簡単に説明すると『自己肯定感』の強化です。
自分を責めてしまうのは、自分に思いやりがない。

 

 

気分が落ち込んだ状態が2週間以上続いたのなら、躊躇せずカウンセリングを受けてください。
5月頃は、新入さんの疲れも出て、人に寄っては、ウツ病になる場合もあります。早期対策は、必要です。
そうなる前に予備知識として、防衛策を講じておくことも必要かもしれませんね。もう、自分ではどうにもならない程の状態になってしまったと思ったら、早期にカウンセリングをお勧めします。

 

完璧な人なんていません。
いたら生まれてくる意味がない。
みんな良い所と悪い所を持っています。
それが、自分なのだと思います。個性は、色々です。
運動が得意な人もいれば、苦手な人もいる。
だからと云って人間的にダメではありませんよね。
その人の人格が全否定されるわけじゃない。
文章を作るのが得意な人がいて、プレゼンが得意な人がいるのなら、互いの持ち分を活かし、助け合っていけばいいのです。
得意な人が、苦手な人を貢献感で手助けしてあげれば良い。
誰でも、得意分野はあります。それを活かせば良いだけです。
出来る人がやれば良いのですよ。
その上で苦手分野を磨きたいと思えば、学べばいいのですよ。
あなたの人生です。成りたい自分を常に目標にして歩めばいいのです。大丈夫!きっと大丈夫!自分を愛してあげてくださいね。

 

 

また、長文になりましたが、自分勝手に思ったことを書かせて頂きました。
誰かの参考になれば幸いです。

 

 

 

 

 

 

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