悪意と善意
平成の時代に社会問題になっている悪意(虐め、ハラスメント等)をどうすればいいのでしょうね。悪意を受けて気持ち良い人はいません。個人的にそれらを裁きたくなりますが、それは違うのですよね。裁きたければ、法的手段にて裁けば良いのです。感情ではなく理性で裁くのが良いと思います。
脳科学の世界では、悪意はすべての人が持っている細胞だそうです。しかし、その悪意が出るか、出ないかは、親の育て方、教育にあるそうです。
個人レベルでできることは、言い返す強さも必要なのでしょうが、無視することですかね。
そして、自分の思考を変えることですかね。
感情的になった方が負けだと思います。やはり理性が勝つと思います。そうは言ってもね~。悪意を向けられた方は、辛いですよね。
私も小学生の時、一時的に虐められた経験があります。その時、父が言いました。『相手にするから面白がって虐めるんだ。反応するのを楽しんでいるんだから、相手にするな。』
確かに、虐めは無くなった。でも、ある程度の大人になるとどうしたものか・・・
そういう時は、こう考えてみる。
【悪意の根源は「弱さ」と「無知」】だそうです。
『虐める人は、弱いんだ。無知なんだ。かわいそうにね~と流しなさい。』江原さんは、そう言っています。
江原啓之さんは、こうも言っています。
幸せな人は意地悪をしない。他人に対して過剰な非難を浴びせる人は、例外なく不幸である。なぜ、不幸なのか。弱いからです。自らの力で弱さを克服し、幸せを掴むことが出来ないから、フラストレーションがたまる。それを自分以外の人間を攻撃することでしか解消できない。つまり「私は不幸です」と言っているのと同じ。「私は心が弱いので、自分の力で幸せになることが出来ません。だから、他人に対して意地悪をしています。」と言っているのと同じ。それは、とても恥ずかしいこと。昔は「恥を知れ」と言ったものです。弱い心は弱いままです。
(中略)
「無知」もまた「悪意」を生み出す源である。人の本当の幸せとはなにか。人を心から愛するとはどういうことか。「無償の愛」「神の愛」とはどういうものか。生きるとは、まさに「無知」を「知」に変える作業である。
(悪意・善意より)
愛は小我(利己的自己愛)ではなく、大我の愛でなければならないと江原さんは、綴っています。
大我の愛とは・・・
見返りを求めない。
「母の視点」であること。
結果に責任が取れる。
感情ではなく、理性であること。
この4つをあげています。
では、善意とは?
「善意」との言葉を聞くと「胡散臭い」と否定されがちだ。そもそも本当の「善意」というものは、人の目に触れにくいもの。昔は「陰徳(いんとく)」という言葉がありました。人から隠れて徳を積むこと。本当の善意と、そうでない善意を見分けられる力を持つことは大切です。本当の善意とは、マザー・テレサのような「大我の愛」です。多くの人は「小我の愛」を満たすのが幸せだと思っている。物質的に豊かな人=幸せな人ではない。人を幸せにするのは「大我の愛」なのです
。
(悪意・善意より)
善意は、気付いてもらえないこともあります。しかし、この陰徳も返って来ます。嬉しい知らせとして返って来ます。善意は、相手にぬくもりとして通じているものです。とても心地良いものとして、相手の心の中に残っています。だから、通じているよと返って来るのですよ。見返りは求めてなかったけど、良い形で返って来ると嬉しいものです。
あまり悪意とか善意とか過敏になることもないのでしょうが、真剣に悩んでいる方もいると思います。
カルマの法則で、自分の蒔いた種は、自分に返ってくると言うのですが、これも悪しき物も善き物も返って来るのです。だから、自分が犯した罪は、どこかで償うような出来事が起るのですよ。だから、仕返しだとかしないこと。すべて天が裁いてくれます。そんな暇があるなら、知識を得て賢くなった方が、得です。くだらない人達と同じ土俵に登って暴れることはないのですよ。あなたは、あなたでレベルアップすれば良いのです。私の龍神さんが言いました。
『愚か者は捨て置け。悪意は跳ね除けろ。お主のレベルが下がるぞ。』
それは、まずいですよね。それは、龍神さんも困ります。やっとこさ、ここまでレベルを上げるように支えて来たのに、下げるような行為をされてはね。龍神さん自身のレベルも下がってしまいます。
『悪意から脱け出す術は、相手の言葉の裏を読むことじゃ。すれば、相手が愚かだと気付くはず。気付けば憐れんでやれば良い。』
私の龍ちゃん、言うよね~。でも、もう少し穏やかに言って欲しいな。まあ、私の龍ちゃんだから、怖いか…^^;
毎回書きますが、ものは考え方次第でどうにでもなります。
冷静に理性で考える癖を付けると楽になると思います。
感情的になると振り回されて苦しくなります。
落着いて、冷静に、いたずらに不安を作らない、ですね。
強さを身に着けること。自己肯定感を強めること。
現代の悪意は、こんなレベルのものではないでしょうが、とにかく逃げること。相手はサイコパスなのでしょうから。
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以前ブログにも書きましたが、たまたま知らない老婦人を車にのせて送ったことがあったんですね。
以下妄想… 実は老婦人は実業家の未亡人で、ある日執事がやって来て「その節は奥様が大変お世話になりました。」と、お礼の品を届けに来る…。
…な~んてことを考えてるうちは幸せはやってこないでしょうねぇ。(^o^;)
ま、ネタにはなりましたが…。
投稿: たこ拳ぢ | 2019年4月 9日 (火) 14時08分
✿たこ拳ぢさん
妄想かい!ヒィー(>ω<ノ)ノ
まあ、その手の妄想は、誰でもするよね^^;
でも、善意には変わりないから、何かしらのお返しは、何らかの別の方法で来るんじゃないの?
例えば…自分のピンチを見ず知らずの人が助けてくれるとかさ。
世の中、廻ってるんだよね。
記事、書けないのストレスにならない?
つぶやき魔になるのも有りかもね~^^;
投稿: エルザ | 2019年4月 9日 (火) 17時22分