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2020年6月

2020年6月25日 (木)

老親との会話がうまくいかない 

 

どうして、こんなにも話がかみ合わないのでしょうか。元々の性格もあるので老化だけのせいには出来ないのでしょうが、相手の話を聞く力、理解する力が低下しています。だから、自分の言いたい事だけを主張してくる。「それは、できないんだよ」と話しても、頑固になり「俺には俺のやり方がある」と進めてしまう。そして、失敗する。すると本人は自分の衰えにショックを受ける。何とかしてあげたいけど、話が聞けない(理解できない)のなら何もしてあげられない。どうしたら、上手く会話が出来る(意思の疎通ができる)のだろう。やはり老親との付き合い方、どうしたらいいの?にも書かせて頂きましたが、精神科の先生のコラムに書かれていることを理解する必要があると思います。

 

 

精神科医、カウンセラーさん、介護職の基本となる手法に『傾聴』と云うのがある。簡単に説明すると、「耳」「目」「心」を傾けて真摯な姿勢で相手の話を聴くコミュニケーションの技法。受容と共感が特徴である。字のごとく耳を傾け聴くということですね。介護職の姪がよく言います。ただ、聞いて「そうなんだ~」「大変だね~」程度の返事をする。あまりムキになって聞かないこと。

 

 

しかし、困っている時は、軽く流す訳にはいきませんよね。本人も日常生活で困っている。何とかしてあげられないかと私なりに考え手助けしようとします。でも、意思の疎通が出来ないので、考えれば考えるほど気分がイラつき落ち込みます。これでは、私が潰れてしまうと思い、私のメンタルの主治医に相談しました。先生は、私の話を聞いて『すぐに連れて来なさい。認知になっている可能性がある。よく、ここまで支えて来たね。とにかく診察を受けて、あなたの負担を減らしなさい。』と言いました。すぐに診察の予約をしました。
認知になっているかも…そんな風に考えたことはなかった。色々と出来ないことは増えているけど、健忘症じゃないかと思っている。
よくお友達にも、ちょっとでもおかしいと思ったら診察してもらった方が良いと助言をもらっていました。その「ちょっとでもおかしい」の基準が難しい。こんな時、私に夫がいたらと思います。支えてくれる人が欲しいです。

 

 

介護をしていると、つい怒鳴ってしまうことがあります。怒鳴った後「また、怒鳴ってしまった。」と落ち込むのですよ。でも、この落ち込みは介護者だけではなく介護されている方もつらいそうです。「また、怒らせてしまった。」と思うそうです。だから、「落ち込み」は必要ないそうです。介護者は、自分を責めてはいけないそうです。私は、もっと優しくできないのかと自分のことを責めてしまう。母にも「あんたは、よくやっているよ。そんなに頑張ることないよ」と言われます。頑張っているつもりはないんですけどね。長女って細かい所に気付いちゃうので、色々とやってしまうのかもしれません。生真面目な性格もあると思います。父との接し方を変えないといけないのかもしれませんね。親の老いを見せられるのは、お別れの準備なのかもしれません。そう思うと丁寧に接したいと思います。

 

 

先日、父が大きな病院で脳の画像検査をしました。父は認知検査の結果、認知症ではありませんでした。やはり健忘症のようです。一応、脳の画像と血流を調べることになりました。私は、リウマチがあり遠くの病院には付き添えないので、妹に頼みました。妹は、少し早めに来たので改札で待ち合わせをしてランチを買うことにしました。改札で妹の顔を見た途端、涙が止まらなくなりました。抑えていたものがあふれ出てしまって…来てくれた妹にも感謝の気持ちもあり・・・。妹は「感謝しているのは、こっちだよ。いつも押し付けて申し訳ない。」と言いました。不意に出た涙に自分でも驚きました。私、こんなに抱え込んでいたんだな~と気付きました。甘え下手が、こういう所にも出るのですよね。もう少し、気楽にできるよう考えようと思います。それと、やはり気持ちの余裕は必要だと思います。最近、余裕がなかったから、追い込まれてしまったかもしれませんね。しばらく、ゆったりと過ごしたいです。なかなかブログに弱音を書けません。私のブログは、応援のブログですからね。でも、たまには書かせてくださいね。画像検査の結果は、30日に妹と聞きに行きます。また、その時のことは書かせて頂こうと思います。

 

 

長文になりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

2020年6月19日 (金)

スタンダード・ジャズ 26 

 

久しぶりにジャズのアップです。
梅雨の鬱陶しさを感じる季節ですが、ゆったりとお過ごしくださいね。

 

 

動画再生の場合、右クリックして【新しいタブで開く】もしくは【新しいウインドウで開く】を選択すると見やすいと思います。

 

 

サムバディ・ラヴズ・ミー(ダイナ・ショア) 

 

いつか王子様が(アーネスティン・アンダーソン) 

 

やさしい伴侶を(エラ・フィッツジェラルド) 

 

サムタイムス・アイム・ハッピー(ジョー・ウィリアムス) 

 

ソフィスティケイテッド・レディ(ナンシー・ウィルソン) 

スピーク・ロウ(ドロレス・グレイ) 

 

 

 

2020年6月14日 (日)

つぶやき 58 

 

私は、ありがたいことに親に厳しく礼儀を教えられました。だから、子供の頃から人様の前に出ることは恥ずかしくありませんでした。『いつも何処かで誰かが見ているものだ。』と学校でも教わりました。だから、悪いことはしてはいけないと学びました。子供の頃から大人の裏社会を見て育ちました。だから、ものを知らない怖さを知っています。大人社会のルールとでも云うのでしょうか。因果応報のような昔から言われている世の中の成り立ちのようなものとでも云うのでしょうか。

 

 

何で、こんなことを書いたかというと、あまりにもものを知らない大人が多いと感じたからです。ゆとり教育も受けていますからね。それ故に、過保護に育っているのでしょうか。人間性の問題だとも思いますが、人間として大事なものが足りない気がします。こんな私を生真面目だと思う方もいるでしょうね。でも、そこそこ遊んできました。20代前半は、ジャズシンガーになる為に歌のレッスンもしていました。歌もただ歌えばいい訳ではありません。上手だけではプロにはなれない。歌の中に“遊び”がなければつまらないものになります。特にジャズはね。英語の発音も遊びが多いです。文字としては表記されているけど発音しない音があります。この遊びがあるから楽しいのですよ。生真面目に物事を捉えたり逆に逃げていては人生が苦しくなります。

 

 

本題から反れてしまいました。結局の所、何が言いたいかというと、今 巷を賑わせている不倫問題です。想像力の欠如、いつも何処かで誰かが見ているとの危機感がない。欲にかまけて周りが見えていない。こうしたらこうなるとの想像力がない。しかも、相手の女まで平気でしゃべる。どういう神経しているのだろうと疑いたくなる。不倫は被害者も加害者もない。同罪ですよ。自分の立場をわきまえなさい。でもね、因果応報。自分がしたことは返ってきます。それで、彼は大事な仕事を失いました。信頼も失いました。男性には致命傷でしょう。彼は、この重い十字架を背負って生きて行くのです。その十字架が色々なことを彼に教えてくれると思います。だから、決してマイナスの事ではないのです。やってしまったことは事実です。それをしっかりと受け入れること。そこから逃げてはいけない。幸い『おまえ、バカだな』と言ってくれる友がいます。その愛ある言葉に感謝して反省して欲しいと思います。災難も学びです。美人の奥さんがいる人ほど浮気をするそうですよ。DaiGoさんが言っていました。

 

 

こういう巷での出来事をどう思いますか?
ただ、批判だけして終わらせますか?そこに自分へのメッセージがあると思いませんか?神様は、『お前は大丈夫か?愛ある行動が出来ているか?』と言っている気が私はします。

 

 

 

2020年6月10日 (水)

自分の癒し方 

 

自分のケアしていますか?毎日の生活に追われ、バタンキューってなっていませんか?それを続けていると身体からのメッセージとしていずれ病となってSOSを発しますよ。悩みを抱えている方も身体からの声を聞いてみませんか?悩みの解決になるかもしれません。毎日 動けるのは健康な身体のおかげです。その身体が悲鳴を上げていませんか?そうなる前に癒しませんか?もちろん、今 病を抱えている方もつらい日々だと思います。少しでも楽になれるよう癒してみませんか?癒すことで気付きが生まれ治癒につながるかもしれません。
私がやっている癒しのワークを紹介します。

 

 

癒しに関しては、2018年8月28日『癒し』にも投稿していますので、参考にしてくださいね。

 

 

『癒し』の記事にも書きましたが、純ちゃんもこの手法の話をしています。これから書く言葉を自分に言ってあげてください。尚、聞く方が楽だという方、願望を叶えたいと思う方は、こちらをお聞きください。純ちゃんが誘導してくれます。

 jun-tube 吉岡純子

 

 

私、頑張っているよね。本当によく頑張っている。嫌なこともあるけど、本当に頑張っているよね。お疲れ様。今日も生きていてくれてありがとう。あなたのことが愛おしいよ。不器用な自分なりに本当に頑張ったよね。本当によくやっているよね。ありがとう。ありがとうね。

 

 

私は、この手法を始めた頃は、涙が止まらなかった。私は、それに付け足すように『私は、守られているから大丈夫。』と言います。癒して安心させる。そして、自分の周りにいる人に感謝の祈りをします。みんな、ありがとう。幸せになってね。そんな言葉を念じて届けます。負の感情は持ちたくない。だから、打ち消すように癒します。

 

 

『癒し』の記事と重複しますが、自分のケアは、大切です。みなさん、身体を鍛えることがケアだと思っていませんか?もちろん運動も気分転換になるでしょうし必要なことです。運動も終わりに必ずクールダウンをするでしょう。このクールダウンは必須です。肉体は、たましいの乗り物です。車だって走りっぱなしだと故障もする。メンテナンスをしないと動かなくなる。身体も同じです。知らず知らずの間に不要な感情を溜め込んでしまいます。感情のデトックスもしないとね。これをやらないと『病』を呼ぶことにもなります。「病は気から」と言いますが、この「気」こそが重要で、濁らせてはいけないんです。気は目には見えません。だからないがしろにしがちです。でも、人はこの「気」で動けるんです。この「気」が下がる(疲れる)と何もする気になれない。動けない。気分が沈む…などのウツ状態になります。気分だけではなく、身体的には倦怠感、頭痛、発熱など血行が悪くなり「病」となります。負の気が体内に溜まり塊となります。自分を癒すことは大事ですよ。毎日 頑張っている自分を褒めてあげましょう。

 

 

悩みを抱えている方も、頭で考えても答えが出ないこともあります。そんな時は、一旦 体の力を抜いてみませんか。リラックスして自分を癒すことで、解決の糸口が見えるかもしれません。頭でっかちはダメですよ。悩みの答えは、自分が知っているんです。でも、ガチガチになった心身がブロックして気付けずにいます。緩めることで涙も出るかもしれません。どんどん出しちゃってください。スッキリしますよ。受け入れなければいけないこともあるでしょう。素直になってみませんか。最後に自分に『つらかったね。でも、頑張ったよね。もう、大丈夫だよ。』と声掛けしてあげてください。大丈夫。あなたを見守っている見えない存在が守ってくれますよ。

 

 

気が疲弊することで体調を崩します。気を整えると回復しますが、それでも体調が悪いとか肉体的な疲れには、おへその当たりに手を当ててください。手からのぬくもりで落ち着きますよ。気を溜めることも出来ます。もう1つは、目をつぶると右目の右端に白い光が見えませんか?それは癒しの光と言うそうです。その光に集中すると光が広がって癒してくれます。これは、一時的な対処法です。2~3日やっても不調が続くなら病院に行ってくださいね。病にも意味があるとスピリチュアルでは言います。「病は神様からのプレゼント」と言います。そこに大きいな学びがある。病は決してネガティブなものではない。

 

 

コロナの収束もまだ見えて来ません。安心しないでくださいね。まだ、第2波、第3波の可能性は捨てきれません。これから外出自粛による本格的なコロナ疲れが来ます。疲れは、出来事の2~3か月後に来ます。重症化しないように今から癒しの作業をしてみましょう。

 

 

 

2020年6月 6日 (土)

つぶやき 57 

 

6月6日の小野寺S一貴さんのブログを読んで思った。
やはり、人は人と関わることで幸せを感じるのだな~と。
コロナによる外出自粛で引きこもりの状態になった。それで気付いた方も多いでしょう。人と関わることは嫌なこともあるけど、色々なことがあることで学びになっている。
『もう傷つきたくない』と人と接することから逃げることもあるでしょう。でも、人と接する機会が減ると、そんなに悪い事ばかりではないと気付きます。
その人がいてくれたから乗り越えてこられた、支えられた、助けられたと気付くこともあるはずです。私もこの点で後悔していることがあります。

 

 

人の幸せは、人間関係があってこそ。
そう、人間関係の中で一喜一憂することこそが人生であり。
私たちがエネルギー源となる「感情」の起伏を大きくする役割を担っているのです。

 

 

小野寺さん、黒龍さん、ありがとうございました。

 

2020年6月 1日 (月)

ひかえめだけど、芯の強い人 

 

PHPの6月号に面白い記事があった。精神科の医師が『ひかえめだけど、芯の強い人』との題名でと記事の依頼をされたそうだ。「ひかえめ」と「芯が強い」は、抽象的で漠然としていて、難しいと思ったそうだ。ならばと逆に考えてみようと記事を書き出した。「ひかえめでない」とは、出しゃばり、自己主張や自己PRが過多である。「芯が強くない」とは、ストレスに弱い、他人に依存して振り回される。当てはまるのは、SNSにハマっている人ではないかと思ったそうです。リア充を精力的にアピールし、愚痴や不満、怒りを詳細に投稿する。しょっちゅう助言や承認を求める。自信がない。
そうならない為には『他者に承認を求め過ぎない』ことだそうだ。つまり、ひかえめだけど、芯の強い人は、自分自身の価値観や判断基準というものをしっかり持っているからこそひかえめでいられるし、他人の意見によってフラフラと左右されない芯の強さが保たれるそうだ。

 

 

アドラーは、承認欲求はいらないと言いました。承認欲求がある人は、中身がない気がします。上辺だけ飾って中はスッカラカン。だから、中を埋めようと承認欲求をすると私は思います。
本が好きな人は知識があります。それ故に強さがある気がします。本物の知識がある人は、ひかえめだとも思います。よく、一流大学出身者で自分の知識の豊富さをひけらかす人がいますが、あれこそ承認欲求だと思います。聞いていてウンザリします。そういう知識ではなく、人生論や倫理観を学んだ人は、ひかえめだと思います。

 

 

日本人は、ひかえめです。芯の強さは、経験で得られるのかもしれませんね。強いとは、柱のようにデンとしていながら柔軟性があることだと私は思います。頑固とも違います。人は良い人でいたいと望むものです。でも、良い人だと思われたいと無理をして演じている人もいるようです。先日『良い人をやめる方法』という動画を見つけました。無理して良い人でいるのは、承認欲求ですよね。それに無理をしているのは本来の自分ではありません。自然体で良いのではないでしょうか?意地悪な自分に気付くこともあるでしょう。人には感情がありますからね。自信がないのなら自信が持てるように努力をすればいい。なりたい自分になればいい。演じることはない。すべてを受け入れていけばいい。嫌われることを恐れないこと。聖人君子になれと言っている訳ではありません。そんなことを続けていると潰れますよ。自分を信頼してくれる人が一人でもいれば大丈夫です。自分で自分を潰してはいけません。楽に生きましょう。

 

 

マザーテレサは、死の間際とても苦しんだと言います。なぜなら、他人の為に生き、自分を大事にしなかったからだと言われているそうです。マザーテレサは、立派だと思います。マザーは、慈愛の聖母です。しかし、マザーはもう少し自分にも愛を注ぐべきだったかもしれませんね。自分を大事にすると自然と芯は強くなり、ひかえめになり、他者貢献も出来るものだと思います。アドラーは、他者貢献は自己満足で良いと言いました。

 

 

話が本題から反れましたかね?
ひかえめだけど、芯の強い人。奥ゆかしさがあり、品があり、いかにも日本人と云うイメージが私にはあります。国際社会の今 少しは自己主張も必要だと思います。日本人として誇りを持って生きたいですね。

 

 

 

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