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日記・コラム・つぶやき

2021年10月28日 (木)

つぶやき 61

 

死の体験で知った。
もう、死を考えする不要はない。
死は、怖くない。
だから、他人が話すことはいらない。
自然と待ちあって来るだけである。
待つだけです。

 

 

私にはあった緊急ことであった脳出血です。
そうまでは、神様の話に飲み込み、宇宙人にまでの必要をした。
脳出血後の思いは、神様も宇宙人も考えていることではないと思った。
消えることは、自然に無くなった注意だった。
失いなう時こそ、その個人の意味だったと思う。

 

 

2021年10月14日 (木)

つぶやき 60 

エルザ、帰ってきました。
前には、2月15日に出さないものです。
話し内容は、失語症になるものです。
所が・・・その後、6か月に入院になっていました。
『次回始まる』のつまりに、また、入院でした。
ただ、2ヶ月のつもりでした。でも、なぜのことが6ヶ月入ったには、悲しい日々でした。理由なんて何でもいいんです。退院してやっと自由に信じられる人生になれたと思っています。
脳出血による失語症。
その1年から入ったリハビリの仲間たちがいる。
静かに行きたいとします。

2021年2月15日 (月)

つぶやき 59 

 

『次回始まる』の記事の後で、たくさんの訪問をありがとうございました。
意味不明な記事なのに、嬉しかったです。
後で、自分で読んで思いました。理解ができないですよね。よくこんな記事が書けるものですよね。しかし、訪問が100人を過ぎました。読んだ方も理解が出来たと話してくださいます。
脳出血になって6ヶ月です。病院に入院4ヶ月、退院して2ヶ月で疲れも出ていますが、日々頑張っています。まあ、失語症があるので話しはダメですがね。

 

 

失語症をご存知しょうか? 私も知りませんでした。
病院退院して寂しく思っていました。何となくYouTubeも見ました。
【報道特集】失語症~途切れた言葉の糸~ 
視聴は、19万あり、コメントも214件があります。
失語症も30万人~50万人だと言われている。話もできない人もいろいろあるらしい。

 

失語症は、自分だけだと思っていました。パソコンでたくさんの患者さんがいることを知りました。話す、書く、これもできない人たちもいます。その助けになる「言語聴覚士」もいるんです。若い世代に夢になり言語聴覚士の勉強をしている人もいます。
私も病院でリハビリテーションを受け、言語聴覚士に話を受けました。先生が驚いたように話が出来ると言ってくれました。でも、失語症ですから。
私は、失語症の人のなかでは、症状が軽かったみたいです。だから、学び上手になって欲しいと何度も言われました。病気中には、リハビリテーションをやっていくのは決まりです。退院後は、3ヶ月訪問リハビリをつづけました。先生は、もっとと声をかけますが、お断りをしました。私は、家族と話が出来れば充分です。だから、このまま落ち着きます。

 

また、今の気になっていることを書きたいかな?^^;
では、また・・・

 

 

 

2021年1月23日 (土)

次回始まる

 

2020年8月17日 夜、急に気を失った。

 

こんな書き方から始まりました。
自分の始まりだった。救急搬送から始まった。倒れているんだけど、どうされて行くのか?と思ってみた。
でも、私は、死は死んだのかとも思い気を見たしてのか?とも感じていた。その時の私の考えは、素晴らしいな実際の世界で、夢のような色々で、夢のピンク、青、黄色して、観にした所だけだった。素敵ないな世話だった。

 

それだっただけか、外は実践がいた。
入院にいたらしい。その人生は、わかっていた。救急にされ、ベッドに看護士されているようだった。でも、考えはしなかった。
2週間いたが、すこしずつ現実が、感じみんなの感動を感じた。SCUにいたのか、看護師にあって必死に命がけ世話してくれる。この私への世話者が、4人だった。4人のリハビリテーションに教えあったように、最高ないよう光ってくれた。

 

そのひとりの彼のことはずっと気を引き締めてくれていたから。
影なる支えも忘れないよ。忘れないよ。

 

 

脳出血2020年8月17日救急。
失語症になり、病院へ入院。4ヶ月の12月10日に退院しました。
とにかく家に帰りたくてなりたかった。すぐに泣くはじめる時にあった。リハビリのみんなは楽しかった。
入院中も元気になり失語症もアップして、この程度まででした。
へんな文章だっただろう。でも、少しに自分のこと、リハビリ仲間を何とか残したかった。
私の脳出血は、ストレスが原因です。医者、看護師、リハビリ仲間、この人たちの力のためです。これの自分方をリハビリ仲間が、助けてくれました。
年齢からだち仲間は、20代です。でも、友達してくれました。私も、泣き出した。相手と達人できたのは、私のやり方ができなかったから。20代のリハビリ仲間がいただけ。感激です。

 

 

今回の私は、始まります。
それ私は、他人を支えて、自分は2番目だったんです。友人を守るだった。
もう、自分は1番目です。他人を関係ないです。何も使わなく関係ない。
失語症なんだから、自分です。もう私には力がなくなった。

 

 

 

 

 

2020年7月15日 (水)

心をやわらかく 

 

仏教には、心をやわらかくする為の知慧がたくさんあります。
『触光柔軟(そっこうじゅうなん)』仏様の知慧の光に照らされて心身が柔軟になる。仏縁を大切にして、心が委縮していないかを点検していくイメージをもつのはいかがでしょうか。また『和顔愛語(わげんあいご)』という教えを実践することも、柔軟な心を養います。人と接する時に、穏やかな態度で慈愛の言葉を使いましょうとの教えです。   釈 徹宗
 

 

 

上記は、PHP Special 2020年8月号から抜粋しました。
最近、心を柔らかくとか緩めるとの言葉をよく耳にします。どうやら、私の新しい学びは、これのようです。充分、柔らかくなったと思っていたのですが、神様は、更に学べとおっしゃるようですね。

 

 

私達には『感情』というのがあります。その感情に振り回されて疲弊することがあります。疲弊する感情は、ネガティブなものでしょうね。ネガティブな感情を持ってはいけないと思っていませんか?どうやら、そうでもないようなのです。ネガティブな感情の裏には、不安、怒り、焦り、自己否定などが隠れています。これは、心からのSOS(心のバランスが崩れているよ)でもあり、大きな気付きになります。心をゆるめてあげましょう。毎回、書いていますが、この裏のメッセージに気付ければ楽になれるのですよ。何に対して不安、怒り、焦り、自己否定しているのかを考え、対策を考えればいいのですから。嫌だなと思うことは、ためらわずに手放して良いと思います。しかし、世の中には、NOと言えない場面もあります。その場合は、距離を取る、捉え方を変えてみると少しは楽に進められるかもしれません。ネガティブな感情は、自分を知る材料になります。

 

 

心からのSOSは、身体の不調としても現れます。先日、私は右肩と背中の痛みを感じました。疲れているのかなと湿布を貼りましたが、2日経っても一向に痛みが取れません。もしかして、メッセージなのかなと思い、気持ちの整理をしました。肩や背中の痛みは、“余計な事を考えたり、背負ったりしているよ”とのメッセージです。父の認知の対応に追われてはいましたが、気持ちは穏やかでした。考え過ぎがあったようです。痛い部分を擦りながら「ごめんね。もう、止めるから。自然に任せるから。ごめんね。」と言いました。翌朝、痛みは嘘のように消えていました。

 

 

ネガティブな出来事は、この先に良いことがあるよとのお知らせだと純ちゃんは言いました。こうなりたいな~との願望も、未来の自分が「なってるよ」と呼んでいるので努力すればなれるそうです。それと、口癖も気を付けたいですね。ポジティブな言葉は、心を軽くします。嫌なことがあった日でも「嫌なことがあったけど、お陰で気付きもありました。ありがとう。」と言うだけで、気持ちも楽になると思います。私は、ネガティブな気持ちになった時『大丈夫!私は守られているから!』と言います。私の産土神は、天照大神です。産土神は、一生守ってくれる神様です。それに龍神さんと弁財天様がついています。アマテラスは、日本の最高神ですよ!こんなに心強いことはありません。太陽の女神がいるのですから。メッセージを受け取る為にも常に心は清らかにしています。ポーンとメッセージを降ろしてくださいます。時にすぐに気付かない時もありますが・・・(^-^;

 

 

常に自分との会話をすること。余計な重い荷物は、早く片付けること。時には、諦める必要もあります。『自分が、どうしたいのか分からない。』との声を聞くことがあります。本当は、解っているのですよ。答えは、常に自分の中にあります。ただ、認めたくないだけです。認めるのはつらいことかもしれません。でも、意地になってこじらせると、それだけ苦しいことが長引くだけです。認めても自分を責めることはないのです。「私、こういう所あるよな。これから気を付けよう。」で良いと思います。抑圧していたことを認める時は、涙も出るでしょう。泣いて膿を出してください。決して自分を責めないでくださいね。認めた自分を褒めてください。それでも、認められない、苦しいのなら自分に『ありがとう』と何度も言ってみてください。責めるでもなく感謝の言葉をかけてみてください。自分を縛り付けているものから解き放たれる感じがしますよ。嫌な事に目を向けるのではなく感謝することに目を向けることを習慣にすると気持ちは楽になります。
自分との会話は難しいと思われるかもしれませんが、慣れれば簡単ですよ。独り言(自問自答)のようなものですから。寝る前に、1日を振り返って反省会をすると良いと思います。時々、自分との会話をしていると「あれ?今の言葉、どこから出て来たんだろう?」と思うことがあります。それは、守護霊さんの言葉です。そのまま、守護霊さんとの会話になることもあります。会話形式でも良いし、書き出しても良いです。

 

 

世の中の流れは、実にうまくできているな~と思います。その人に必要な学びの場面を与えてくれる。それを素直に受け入れれば乗り越えられるのです。当たり前は、当たり前ではなく努力の上にあるのだと私は思います。日本人は、その意味をすぐに理解できる民族だと私は思います。

 

 

心をやわらかくする努力はしたいものですね。何より穏やかに暮らせますからね。感謝の日々です。私は、高校生の頃から死んだら神様に褒めてもらうんだ。頑張ったねと褒めてもらえるように生きようと思いました。それは、一生懸命に生きたとの満足かもしれませんね。日々精進です。

 

 

長文になりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

 

2020年6月14日 (日)

つぶやき 58 

 

私は、ありがたいことに親に厳しく礼儀を教えられました。だから、子供の頃から人様の前に出ることは恥ずかしくありませんでした。『いつも何処かで誰かが見ているものだ。』と学校でも教わりました。だから、悪いことはしてはいけないと学びました。子供の頃から大人の裏社会を見て育ちました。だから、ものを知らない怖さを知っています。大人社会のルールとでも云うのでしょうか。因果応報のような昔から言われている世の中の成り立ちのようなものとでも云うのでしょうか。

 

 

何で、こんなことを書いたかというと、あまりにもものを知らない大人が多いと感じたからです。ゆとり教育も受けていますからね。それ故に、過保護に育っているのでしょうか。人間性の問題だとも思いますが、人間として大事なものが足りない気がします。こんな私を生真面目だと思う方もいるでしょうね。でも、そこそこ遊んできました。20代前半は、ジャズシンガーになる為に歌のレッスンもしていました。歌もただ歌えばいい訳ではありません。上手だけではプロにはなれない。歌の中に“遊び”がなければつまらないものになります。特にジャズはね。英語の発音も遊びが多いです。文字としては表記されているけど発音しない音があります。この遊びがあるから楽しいのですよ。生真面目に物事を捉えたり逆に逃げていては人生が苦しくなります。

 

 

本題から反れてしまいました。結局の所、何が言いたいかというと、今 巷を賑わせている不倫問題です。想像力の欠如、いつも何処かで誰かが見ているとの危機感がない。欲にかまけて周りが見えていない。こうしたらこうなるとの想像力がない。しかも、相手の女まで平気でしゃべる。どういう神経しているのだろうと疑いたくなる。不倫は被害者も加害者もない。同罪ですよ。自分の立場をわきまえなさい。でもね、因果応報。自分がしたことは返ってきます。それで、彼は大事な仕事を失いました。信頼も失いました。男性には致命傷でしょう。彼は、この重い十字架を背負って生きて行くのです。その十字架が色々なことを彼に教えてくれると思います。だから、決してマイナスの事ではないのです。やってしまったことは事実です。それをしっかりと受け入れること。そこから逃げてはいけない。幸い『おまえ、バカだな』と言ってくれる友がいます。その愛ある言葉に感謝して反省して欲しいと思います。災難も学びです。美人の奥さんがいる人ほど浮気をするそうですよ。DaiGoさんが言っていました。

 

 

こういう巷での出来事をどう思いますか?
ただ、批判だけして終わらせますか?そこに自分へのメッセージがあると思いませんか?神様は、『お前は大丈夫か?愛ある行動が出来ているか?』と言っている気が私はします。

 

 

 

2020年6月 6日 (土)

つぶやき 57 

 

6月6日の小野寺S一貴さんのブログを読んで思った。
やはり、人は人と関わることで幸せを感じるのだな~と。
コロナによる外出自粛で引きこもりの状態になった。それで気付いた方も多いでしょう。人と関わることは嫌なこともあるけど、色々なことがあることで学びになっている。
『もう傷つきたくない』と人と接することから逃げることもあるでしょう。でも、人と接する機会が減ると、そんなに悪い事ばかりではないと気付きます。
その人がいてくれたから乗り越えてこられた、支えられた、助けられたと気付くこともあるはずです。私もこの点で後悔していることがあります。

 

 

人の幸せは、人間関係があってこそ。
そう、人間関係の中で一喜一憂することこそが人生であり。
私たちがエネルギー源となる「感情」の起伏を大きくする役割を担っているのです。

 

 

小野寺さん、黒龍さん、ありがとうございました。

 

2020年6月 1日 (月)

ひかえめだけど、芯の強い人 

 

PHPの6月号に面白い記事があった。精神科の医師が『ひかえめだけど、芯の強い人』との題名でと記事の依頼をされたそうだ。「ひかえめ」と「芯が強い」は、抽象的で漠然としていて、難しいと思ったそうだ。ならばと逆に考えてみようと記事を書き出した。「ひかえめでない」とは、出しゃばり、自己主張や自己PRが過多である。「芯が強くない」とは、ストレスに弱い、他人に依存して振り回される。当てはまるのは、SNSにハマっている人ではないかと思ったそうです。リア充を精力的にアピールし、愚痴や不満、怒りを詳細に投稿する。しょっちゅう助言や承認を求める。自信がない。
そうならない為には『他者に承認を求め過ぎない』ことだそうだ。つまり、ひかえめだけど、芯の強い人は、自分自身の価値観や判断基準というものをしっかり持っているからこそひかえめでいられるし、他人の意見によってフラフラと左右されない芯の強さが保たれるそうだ。

 

 

アドラーは、承認欲求はいらないと言いました。承認欲求がある人は、中身がない気がします。上辺だけ飾って中はスッカラカン。だから、中を埋めようと承認欲求をすると私は思います。
本が好きな人は知識があります。それ故に強さがある気がします。本物の知識がある人は、ひかえめだとも思います。よく、一流大学出身者で自分の知識の豊富さをひけらかす人がいますが、あれこそ承認欲求だと思います。聞いていてウンザリします。そういう知識ではなく、人生論や倫理観を学んだ人は、ひかえめだと思います。

 

 

日本人は、ひかえめです。芯の強さは、経験で得られるのかもしれませんね。強いとは、柱のようにデンとしていながら柔軟性があることだと私は思います。頑固とも違います。人は良い人でいたいと望むものです。でも、良い人だと思われたいと無理をして演じている人もいるようです。先日『良い人をやめる方法』という動画を見つけました。無理して良い人でいるのは、承認欲求ですよね。それに無理をしているのは本来の自分ではありません。自然体で良いのではないでしょうか?意地悪な自分に気付くこともあるでしょう。人には感情がありますからね。自信がないのなら自信が持てるように努力をすればいい。なりたい自分になればいい。演じることはない。すべてを受け入れていけばいい。嫌われることを恐れないこと。聖人君子になれと言っている訳ではありません。そんなことを続けていると潰れますよ。自分を信頼してくれる人が一人でもいれば大丈夫です。自分で自分を潰してはいけません。楽に生きましょう。

 

 

マザーテレサは、死の間際とても苦しんだと言います。なぜなら、他人の為に生き、自分を大事にしなかったからだと言われているそうです。マザーテレサは、立派だと思います。マザーは、慈愛の聖母です。しかし、マザーはもう少し自分にも愛を注ぐべきだったかもしれませんね。自分を大事にすると自然と芯は強くなり、ひかえめになり、他者貢献も出来るものだと思います。アドラーは、他者貢献は自己満足で良いと言いました。

 

 

話が本題から反れましたかね?
ひかえめだけど、芯の強い人。奥ゆかしさがあり、品があり、いかにも日本人と云うイメージが私にはあります。国際社会の今 少しは自己主張も必要だと思います。日本人として誇りを持って生きたいですね。

 

 

 

2020年5月25日 (月)

つぶやき 56 

 

最近、頭がボーっとしています。季節のせいか?コロナ疲れなのか?気持ちが上がってこない。でも、毎日の生活でボーっとしている訳には行かない。老親の監視もしないといけない。家事は、ほとんど母がしているのですが、買い物だけは、私が行きます。
ひとりでゆっくりできるのは、夜です。両親は、早くに寝てしまうので。
最近は、気付くとボーっとネガティブなことを考えています。いつも偉そうにブログを綴っている自分が嫌だとか、過去に誤解されたことを正したいとか、私の事を強い人だと思われているのが嫌だとか・・・etc  弱気になっている。考えようでは、落ち着いてきたのかなとも思います。

 

 

ブログだって、私が得た知識や感じたことを書いているので、無理している訳でも良い人ぶっている訳でもありません。素直な私自身です。過去に誤解されたことも、相手の受け取り方もあります。私は、強くもないし弱くもない。普通です。必死に自分の柱(芯)作りをして来ましたから。乗り越えなければいけないことがたくさんありました。過去の清算をして再構築ですね。

 

 

先日、新しい主治医が私の病歴経過を見て『頑張って来たんだね。ACを克服するのは、苦しかっただろうに。本当に頑張ったね。』と言ってくれました。乗り越えてきたことを振り返ると涙が止まらなかった。でも、不思議なのですよ。ACの克服法なんて知らなかったのに、自然と導かれるまま子供の頃からやり直そうと思ったんです。両親にも私の想いを話しました。初めは、受け入れてはくれなかったけど、話し合っているうちに受け入れて謝罪までしてくれた。受け入れた両親もつらかっただろうと思います。両親も根っからの愚か者ではなかった。振り返ると、やはり私は守られていると思えるのです。

 

 

だから、私が学んだことが誰かの為になればとブログを綴っています。この気持ちを忘れてはいけないのですよね。荒らされても、この気持ちがあれば続けられる。どうせ、私なんて・・・とスネている場合じゃない。誰にだって自分に出来る事は必ずあります。 このコロナ禍で、職を失った人もいるでしょう。進むはずだった道を進めなくなった人もいるでしょう。でも、そこには意味があると考えてみてください。コロナ禍に起こった出来事は『考え直しなさい』とのメッセージだと聞きました。コロナ禍で世の中の流れが変わってきます。そのまま進んでしまっては危ないとのメッセージなのだと思います。私も龍神さんから「別のやり方を考えなさい」と何度もメッセージを受け取りました。私の場合、考えていたことをストップすることで、そのメッセージは来なくなりました。 まあ、ストップしたことで、じゃあ、これからどうしようかと思案中です。
その考えていたことのひとつに、このブログがあります。このままでいいのか?他に手段はないのか?と考え、音声でのアップも考え、録音もしてみましたが、何だか違うんですね。ブログは、このままの方が良いようです。

 

 

気になることがあると、どうして?と答えを求めようと深堀するクセがあります。自分の芯を作るのに深堀してきた習慣が、いまだにあるのですね。もう、今の私には必要ないことです。
思いつくまま書いてみました。誹謗中傷による自殺も気になっていますが、加害者は、いつか被害者になります。想像力の欠如。日本の教育の欠如。親の愛の欠如。色々なことの欠如で生まれると思います。他人の痛みを知らない人間を作ったのは、誰でしょうかね?

 

 

緊急事態宣言が解除されましたが、油断せずお過ごしください。

 

 

 

2020年5月 8日 (金)

つぶやき 55 

 

先日、ナインティナインの岡村さんのラジオでの失言があり、すぐに相方の矢部さんが出演し公開説教をしました。それを聞いていて、岡村さんは幸せだなと思いました。叱ってくれる相方がいる、それを素直に聞いて反省する岡村さんも素敵です。矢部さんに『あんた、逃げ癖がある。それは、いかんやろ。人生変えろ!』と言われていました。つまづいて転んだらケガをする。ケガをしたらちゃんと医者の話を聞いて治す。その素直さは、必要です。叱られて、スネて、相手に怒鳴る人もいます。素直に相方の言うことを受け入れ、やり直そうとする岡村さんは、素敵です。

 

 

岡村さんは、ラッキーです。気付いて変えようと思ったのだから。叱ってくれる相方がいるのは、岡村さんの人望もあると思います。相方と云えば女房のようなものでしょうね。一緒に謝罪する矢部さんも素敵です。

 

 

岡村さんの失言に関しては、確かに女性軽視なのだと思いますが、男性なら、そう思っている部分はあると思います。岡村さんは、それを公共の場で発言してしまったのが、いけなかったのでしょうね。そこまでの失言ではないとの意見もあります。そして、矢部さんの説教にも違うとの意見もあります。でも、公共の電波で言うことではないと思います。矢部さんは、しっかりと叱ったと思います。友人として大人の男性として、ちゃんと叱ったと思います。
しばらく連絡を取っていなかった2人が、これを機に話す機会になり良かったと思います。お互いの気持ちを話し合うことで、2人の間にあった、何十年も抱えていた誤解も解けたと思います。また、仲良くやって欲しいですね。

 

 

 

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